「熊野から読み解く記紀神話」 書評
<概要>
「すみっこ」という意味の隈の場所「熊野」を題材に、熊野に縁を持つ研究者、小説家、地元の活動家などが持ち寄った熊野にまつわる日本神話・民話の世界を紹介した著作。
<コメント>
先日、早稲田大学のオープンカレッジで、池田雅之先生が主催する講座を聴講したきっかけで読ませていただきました。
本書の中でも尾鷲出身の池田先生のほか、熊野市文化財専門委員長の三石学さん、作家の中上紀さん(中上健次の娘)など、熊野にゆかりの深い方々がそれぞれ、自分のテーマを持ち寄って書かれています。
■記紀神話について
記紀神話は、世界的には近代国家成立以前の他の多くの歴史書同様、時の権力者の正統性を担保するために書かれた「価値の歴史」。
具体的には記紀神話の場合は、大和朝廷、特に藤原氏の正統性を担保するために書かれた著作と歴史家の間では定説になっています。とはいえ、これを歴史書ではなく、フィクションを伴った「神話」として読めば、その魅力的な世界に浸ることができます。
池田先生は「記紀神話とはある史実を背景として、日本人の想像力が生み出した物語」として、それぞれの土地に埋め込まれた歴史的な伝承や神話を伴った意味のある世界へと我々を導いてくれる物語だといいます。
■熊野について
中でも、本書は「熊野」という記紀神話には欠かせない土地を題材にすることで、地理的な意味合いも含めた「熊野」のその魅力的な地域性を見事に表現しているのではないかと思います。
熊野は、ヤマトやナニワ・京都など政治の中心地だった畿内からみると「隅っこの場所」→「隅野」→「熊野」という意味の場所であり、当時の政権にとっては地下の世界(黄泉の国)に繋がる地域だという位置付け。
伊勢と熊野の対比をみれば、
【伊勢:常若の国】
この世に光と秩序をもたらすオモテ(=アマテラス=姉)の信仰の場所
→身の穢れを浄め、、ひたすら心の平安と安らぎを求める信仰
【熊野:再生の国】
目に見える闇の力を司る(=スサノヲ=弟)の信仰の場所。
→生き直しを求めての苦行的で擬死的な信仰の場所(まさに修験道の世界)
地理的には紀の川(=吉野川)に沿って走る「中央構造線」を境に、その北方を「オモテの場所」、その南方を「ウラの場所」となります。その裏の場所が「熊野」。下図の紀伊山地に相当する地域が広義の「熊野」。
なので熊野に詣でるということは「生(オモテ)→死(ウラ)→生(オモテ)」のサイクルを体感することなり、参拝者の「生」をリセットさせる力があったのでしょう。
■八咫烏とは何か?
先日オーストラリア代表との決戦でW杯出場を決めたサッカー日本代表のシンボルは、ご存じ「八咫烏」。
日本書紀では、八咫烏はアマテラスが遣わした熊野の案内人(古事記ではタカミムスヒ)。
市川市出身の写真家、星野道夫のいくつかのエッセイを読んでもアラスカの先住民(クリンギット族)の神話ではワタリガラスの神話(火や森をもたらす)が多く登場しますし、北欧神話でもカラスは神の伝書鳩の役割をもって登場します。つまり世界中で烏は、神や太陽の使いとして登場。
生物学的にも、烏はあらゆる動物の中でも最も知能の高い動物の一種で、人間さえも確実に空の上から、誰が誰か特定し、自分に危害を与えた人間は必ず覚えているといいます。
九州から東征したヤマト政権は、奈良本盆地を制圧しようとした「神武天皇の東征神話」において、瀬戸内海から浪速に浸出し、一気に奈良盆地の先住民の部族長「ナガスネヒコ」に一度は、撃退されてしまったため、海路を迂回・南下して熊野に向かうのです。
この八咫烏、実は烏そのものではなくて
八咫烏に案内されて、ヤマト軍が吉野から宇陀に入り、ナガスネヒコとの戦いに勝利して奈良盆地を征服した、というのが東征神話。
著者は、ここでも熊野神話に相応しい、再生と蘇りの「起死回生」の場としての性格がよく表れているといいます。
他にも興味深いエピソード満載の本書ですが、長くなるのでこの辺りで紹介はやめておきますが、熊野の魅力が多面的に味わえる著作なので、興味ある方は是非一読お勧めします。