「脳科学者の母が、認知症になる」恩蔵絢子著 書評
<概要>
認知症の家族を通して脳科学の専門的知見からその症状の学問的紹介と対処方法に加え、自己とは何か?について深く考えさせられる脳科学者恩蔵絢子の著作。
<コメント>
私の亡くなった父は最後は認知症で「自分は今どこにいるか」も、まったくわからない状況になったし、今は複数の親しい親戚が認知症なので「脳科学的には認知症とはどういうことなのか」知りたくて本書を手に取りました。
すると、納得できることが多すぎて付箋張りまくりになってしまいました。
ただ、最後の
「感情が人間に価値判断をさせている」
という結論は脳科学者としては確かにそうかもしれませんが、哲学を勉強している立場からすれば、もっとつき詰めて考えたい。
価値判断をさせるその快不快という感情は、果たしてどうやって形成されてきたのか、ということ
著者曰く、
だからこそ肝心なのは、自分の快不快の感情をより真っ当なものにするために常日頃から私たちは理性を使い、自分の知性を鍛え、その価値判断を自分の感情として内面化しておくべきではないかということ。
感情は生まれながらにして固定されているわけではありません。人間が成長し、生きていく中で育てられていくものではないかと思うのです。
仮に知性によって内面化されていない未熟なままの感情に任せて社会生活を送れば、安易で支離滅裂な行動に走り、社会性を失うこともあるかもしれない。したがって「感情が価値判断している」からといって知性をないがしろにすると、不幸になりそう。
「誰もがこうすべきだと思わざるを得ない(=普遍性)」価値を内面化し、自分の感情に結び付けていくことが勉強の役割
の一つではないかと私は思っているので。。。
さてそうはいっても多くは納得性の高い内容が多いので以下整理。ちなみに認知症は、アルツハイマー型、レビー小体型、脳血管性の3種類ですが、以下はアルツハイマー型認知症についての知見。
■認知症は海馬の萎縮によって起こる
アルツハイマー型認知症とは、我々が脳を使った時に排出される「アミロイドβ」&「タウ」というたんぱく質が排出されずにそのまま脳内に残存し、神経細胞そのものを殺したり脳内の情報伝達を阻害してしまう病気。
特に初期は海馬という部位に起こり、新しいことが覚えにくくなってしまう病気。ちなみに「海馬」という脳の部位は、脳科学者の池谷裕二の複数の著作を読んでも、頻繁に出てくる重要な部位。
海馬は、コンピュータでいう「メモリ」のような役割で、今私たちが活動中に必要な一時的な記憶(短期記憶という)だとか、昔の記憶(長期記憶という)を引っ張り出したりとか(リトリーブという)、保存しておきたい記憶を格納するための作業(エンコードという)をしたりだとかの作業を担っています。
なお、ハードディスクに相当する部位は「大脳皮質」でここに記憶を保管(ストレージという)。
つまり、認知症になると「物忘れが激しくなり」、近い過去であればあるほど忘れやすくなります。逆に古い過去の場合は、すでに大脳皮質の中で固まっている記憶なので取り出しやすい一方、そう遠くない数年以内の記憶は、大脳皮質の中でまだ十分に固まっていない記憶なので取り出しにくい。さらに5分前などの直近の記憶はまさに海馬が担っているので、最も忘れやすくなってしまうのです。
認知症患者と話していると昔のことばかり話して、さっき話したことはすっかり忘れてしまうのですが、こういうことだったんですね。
■なぜ認知症患者は攻撃的になるのか?
認知症患者は、特に親しい人から自尊心を傷つけられてしまうとより攻撃的になります。
軽度の認知症患者は自分が認知症だということは殆どの人が自覚しているそうです。なので「忘れっぽい」だとか、これまでできていたこと(料理や洗濯など)ができなくなってしまうことだけでも既に自信喪失しているのに、ついつい私たちはイライラして「何でこんなこともできないの」ときつくあたってしまいます。
そうすると本人は既に傷ついているうえに自分に親しい人から更にその傷に塩を塗られているような気分になってしまうのです。
加えて認知症が進行して、感情の抑制に関係している大脳皮質の前頭葉にまで毀損してしまうと衝動が抑えられなくなり、より攻撃性が増すそうです。
なお、海馬がすべての記憶を直接に司っているのではありません。言語化できる知的記憶(宣伝的記憶という)だけです。
言語化できない感情の記憶(扁桃体が司る)やスキーなどの身体で覚える記憶(大脳基底核&小脳が司る)は対象外。ただし強度の感情記憶は扁桃体から海馬への強力な信号が送られ、他の記憶よりもずっと忘れにくくなります。
したがって、認知症患者が感情的になるとその記憶は、そのまま残りやすい。健康な人でも感情記憶は残りやすい。深く酔った翌日に「その時起こったことは忘れてしまったけど嫌な気分だけは残った」という経験はないでしょうか?
我々がイライラしてきついこと言って認知症患者を不快にさせてしまうと、その時なんで不快になったかは忘れてしまいますが、その自尊心を傷つけられたという不快な記憶だけは健康な人並みに鮮明に記憶されてしまうのです(実際私の親戚も同じ状態になってしまいました)。
■認知症患者のために我々ができること
認知症は現時点では不治の病なので、本当に効く薬はいまだ未開発。現在の薬は神経伝達物質の調整(アリセプト、イクセロンパッチ、レミニール)や伝達物質受容体の調整をするための薬(メマリー)で症状を若干和らげるらしいのですが、認知症そのものを治すわけではありません。したがって
とのごとく、副作用を考慮しても果たして服用していいものなのかどうか?考えものです。
なので今我々ができることは、患者のやれることを手伝ったり、人格を尊重して、より幸せな人生を送ってもらうことではないかと著者は言います。そして認知能力は低下しても感情能力は低下していないので、症状が進んだしても人対人として付き合うべきではないかと提言しています。
⑴一緒に散歩すること
デフォルト・モード・ネットワークというのは、海馬と後頭頂皮質を密接につないでいる回路のことで「休んでいる」時に働くネットワーク。
認知症になるとこのネットワークが弱くなります。弱くなると現実の刺激がやたらめったら脳に入ってきて記憶の整理整頓がつかなくなり、何かやろうとしても頭が混乱してできなくなってしまう。実は我々の脳は無限に感覚器官から情報がやってくるので、そのすべてを受け取れません。その中から意味ある情報だけを抽出し、必要に応じて記憶しています(感覚のオーバーフローという)。
なので料理が出来なくなってしまうというのは一見、身体の記憶のようであっても、料理をするための意味ある情報を脳がピックアップできなくなり、結果的にできなくなってしまうというのです。
我々も、新しいアイデアだとかそういったものを浮かび上がるのは風呂場の中だったりします。これは脳がリラックスすることでデフォルト・モード・ネットワークが働くからだそうです。
認知症患者の場合は特にこの状態が極端に減ってしまうことでより症状が悪化してしまいます。なので散歩が最適。とくに親しい人と散歩すれば景色は変わり、温度や湿度を体感して親しい人との会話も弾み、よりリラックスして脳も活性化されるのです。
⑵人格を尊重してあげること等
人格を尊重するには何よりも「主体性の感覚」を持ってもらうこと
例えば著者の場合は、お母さんの居場所を作るために洗い物はあえてお母さんに任せているそうです。わたしたちからみてその洗い方が非効率だったりイマイチだったとしても、お母さん自身が「自分がやれている」という感覚を持つことで本人は「楽しい」と感じます。
そして安心してもらうことが大事。
ので、新しいことや変わったことを強引に患者にさせてしまうと本人は不安でいっぱいになってしまいます。
効果的なのは「古い記憶」を呼び覚ますこと。老人ホームの内装を昔風にしたらトイレにひとりで行けなかった患者が行けるようになる事例がある(東ドイツの老人ホーム)など、人によっては「できること」が増える場合があるようです。
以上、他にも興味深い事例が多く、脳科学の勉強をしながら認知症への理解が深まるという、一石二鳥の著作なので、是非お知り合いに認知症患者がいる方にお勧めしたい著作です。
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