<普遍性>をつくる哲学:岩内章太郎著 書評
<概要>
現在進行形の哲学(構築主義や新しい実在論など)をわかりやすく解説した上で、これらを乗り越える最も最先端かつ説得力のある哲学「普遍性をつくる哲学=現象学」を紹介した2021年6月出版の新作。
具体的には、哲学の目的を「暴力による社会から、話し合いによる社会への転換」と位置付け、善の原始契約に基づき、現象学的言語ゲームを展開することによって「話し合いによる社会」は可能と提言。
話し合いによる社会によって自由な社会は維持されるという前提のもとで「関係性の充足」や「ソロ充の快楽」など「今風の幸福を守る」というのが著者が本書で展開している内容。
<コメント>
処女作「新しい哲学の教科書」に続き、
著者2冊目においては、マルクス・ガブリエルやカンタン・メイヤスーなどの新しい実在論と構築主義の意義を改めてしっかりと押さえた上で、これらを乗り越える哲学としての現象学を初めて紹介。
実はここで紹介しきれないほど、深く納得する内容が多いのですが、特に私が注目した内容は以下2点。
■形而上学への誘惑を断ち切る
哲学に興味を抱く人間にとって、形而上学に勝る快楽はありません。それでもこの誘惑を断ち切ることこそが、「普遍性をつくる哲学」へと踏み出す大きな一歩になるのです。
私たちは、超越への憧憬につい身を任せてしまうことがある。それどころか、超越的なもの・彼方にあるものに憧れることは人間の欲望の本性である。とさえ言えるかもしれない。しかし哲学を利用してこの欲望を昇華させようとすれば、その形而上学的思弁は、同じようなロマンを持つものだけで分かち合う一つのお伽噺になっているのだ。思弁的実在論や新しい道徳的実在論は、その典型のようである(263頁)。
著者はこうもいいます。
人間の認識を超越した真理への意志の断念が、最も注目されるべき現象学者の矜持である、と考える(263頁)
我々の想像を超えた何らかの原理が世界にあるのではないか、とついつい我々は考えてしまうし、著者いうようにこれは人間の本性だから仕方ない。だからこそ宗教がこれだけ必要とされているのだし。。。
でも、これには答えがない以上、永遠に一致することはなく、その先には分断しかありません。
つまり、形而上学では話し合いによる社会は成立しないのです。しかし何らかの普遍性をつくるためには、形而上学の誘惑から離れて、自分の意識体験にとどまり、現象学的言語ゲームにおける間主観的コミュニケーションによって共通の確信を生み出すしかありません。
■自由を享受することの疲労
政治的自由がない権威主義国家が強大化していく現代において、これは贅沢な悩みかもしれません。でも間違いなく先進民主主義国家で生きている我々にとっては、切実な問題ではないかと思います。
著者紹介のエーリッヒ・フロムの言葉が象徴的です。
自由が展開するにつれて、人はますます個人として生きていかざるを得なくなり、愛や仕事によって外界と結ばれるか、あるいは、自由を破壊する安定感、すなわち、全体への従属といい安心感を求めることになる
この辺りは前作で著者が紹介した「何もしたいわけではないが、何もしたくないわけでもない」という奇妙な欲望を持ったメランコリストのニュアンスにも通じるものがあるかもしれません。
法的・健康的・経済的・時間的条件を満たす限り、私たちは何をやっても自由です。どの学校に通うか、どの職業につくか、余暇は何をするか、結婚するかしないか、子供が欲しいかほしくないか、ペットを飼うか飼わないか、何でも自由に選ぶことができる。
でも人間は皆「本当にやりたいこと」ってあるんでしょうか?そう問えば、そうでない人が多数ではないでしょうか?
また、自由によって多様性を求められると「私は他の人と違ってこんなことができる、してる」だけでは満足できなくなります。つまり他者とのリアル&ネット双方のコミュニケーションによる承認欲求の充足が必須になるのです。
これが行き過ぎると
私は他者に私の価値を認めさせたい。すると、私は他者の欲望を欲望することになる。つまり承認をめぐる闘争が生まれる(279頁要約)
これも疲れる原因。なので、プライベートの狭い「関係性の充足(※1)」と「ソロ充の快楽(※2)」という幸福に行き着く人が多いし、私も実際この通り。
この流れ、深く同感です。
※1「関係性の充足」
互いがあるがままに認められる空間を作り出す。存在の肯定空間を支えるのは、特別な個性、能力、才能ではない。過去のある時点から現在に至るまでの時間的共在関係と、共に世界に在ることを通した関係性の時熱が、互いの存在を無条件に受け入れることを可能にする。自己価値の承認ではなく、自己存在の是認(282−284頁あたり引用)。
※2「ソロ充の快楽」
他者に土足で踏み込んでほしくない自分だけの幸福の空間。独我論的な閉鎖空間。「推しの文化」がその代表(284頁-286頁あたり引用)。