Lead④
少年は雨が好きだった。
雨が降れば泣いているところを見られない。
そして、泣いている人を見なくて済むからと。
両親は生まれてすぐに離婚。物心ついた頃には母親は精神病で入院。学校も辞め、子供ながらに生活するために必死で働いた。
人を笑顔にすることが唯一の幸せであり、そして得意だった。そんな彼の作品は笑いをベースに優しさや勇気、人生、戦争の批判、平和の尊さなど社会へのメッセージが詰め込まれており、映画を使って全世界に向け発信。
その結果、国をあげて批判をされたり、国外追放をされたり、様々な災難に巻き込まれたが何百万、何千万もの人々に笑いをもたらし、映画を芸術に変える大きな役割を果たした。
少年時代、ドン底にいながら自分ではなく、他を笑顔にすることを光として這い上がった少年は成功を収め、のちに、こう呼ばれる。
“喜劇王”
彼の名はチャールズ・チャップリン。
世界で最も人を笑顔にした人物である。
何のために意味なんか求めるんだ?
人生は願望だ。意味じゃない。
(チャールズ・チャップリン)
(世界で最も人を笑顔にした男)
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命を懸けた走り 片足を失った青年
生きるとは、死ぬその時まで自分の可能性を諦めず努めること。
カナダで生まれたデリー・フォックスという青年は幼い頃からスポーツが好きでバスケ部に所属していたが、ある日、膝の痛みから病院に行くと骨肉腫という骨の癌であることが判明。
19歳にして右足切断を余儀なくされた。計り知れないショックを受けているなか、同じ癌で闘う自分より年下の子供がいることを入院中に知り、彼は立ち上がる。
ガン研究の資金集めをするため、100万ドルを目標に、カナダ横断マラソンを決意。その距離8000km。
雪が降る寒い日も炎天下の日も慣れてない義足で毎日、フルマラソンと同じ距離を走った。
しかし、開始から143日目。体調が悪くなり検査をすると肺に癌が見つかり、志半ばでマラソンは中止。そして22歳という若さで亡くなった。
彼は亡くなる前、『もし僕がゴールを出来なくても他の人が続けていき、繋ぐ必要がある』と、そう言った。
そして、その行動と意志は多くの人の心に火をつけ、彼の名がついたチャリティーマラソンが死後、世界各国で行われるようになり、彼の意志を継いだ人々が走り続けている。
「あ」で始まる歴史の人物
芥川龍之介 羅生門
アインシュタイン 相対性理論
明智光秀 本能寺の変で信長を討つ
天草四郎 島原の乱で活躍
アリストテレス 「万学の祖」/哲学者
足利義満 金閣寺を建立
アレクサンドロス大王 東方遠征で活躍
浅井長政 信長の妹・お市の方と結婚
新井白石 「政徳の治」を行なった
アメリゴ・ヴェスプッチ アメリカの由来
一生使えるローラの凄い言葉7選
①がっかりした時はね。相手を責めるんじゃなくて、期待しすぎた自分を責めるの。そうする方がもっと素敵な自分になれるから。
②努力をしなかったら幸せはやってきてくれないの。努力してると失敗もするけど、失敗して失敗して失敗して失敗するから幸せになれる。
③人生にリセットボタンはないけどね、スタートボタンは何回押しても良いんじゃないかな。
④「当たり前」を「ありがとう」に
「だから何」を「おめでとう」に
「もうダメだ」を「これからだ」に
「なりたいな」を「なってやる」に
「もういいや」を「まだやるぞ」に
そういうふうに言い換えられる人になろうと思うの。
⑤人間関係の一番の敵はね。
「無理をする」ことだよ!
⑥別に友達100人もいらないの
隣で笑ってくれて
話を聞いてくれて
困った時に助けてくれて
同じ時間を共有できる
あなたが居てくれれば、それで十分なの
⑦本当の友達ってね、
あなたが泣いている時、
1滴目の涙を「見て」
2滴目の涙を「ぬぐって」
3滴目の涙を「止めて」
4滴目の涙を「微笑む」
に変えてくれる人だよ。
世界が変わった瞬間 人類平等の歴史
人民の人民による人民のための政治
1863年 第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが行なった伝説の演説。
この演説は、たった272語、2分ほどのとても短い演説だったが、人々に影響を与え、戦争も終わり、奴隷制度も廃止。
人類平等の歴史的一歩目を踏み出した。
しかし、奴隷制度はなくなったものの、根強く差別は残っており、法律ですら差別があった。
そこから100年近くの時が経ち、人々を導く人物がまた現れる。
その名もマーティン・ルーサー・キング・ジュニア。
彼のデモ運動は非暴力を徹底。リンカーンの伝説の演説から100年後、1963年に20万人以上が集まるなか、演説をした。
I have a dream(私には夢がある)
そして建国以来200年近くの間、アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げた。
何度も命を狙われ、それでも行動し続け暗殺されてしまう2人。
これは命よりも信念を貫いた男たちが世界を変えた実際にあった話だ。
日本人が天から授けられた特殊能力
日本人だけの特殊能力。
渋谷のスクランブル交差点に行ったことがある人はいますか?
1日 約50万人が行き来すると言われている場所で、他人とぶつかってる人を見かけたことはありますか?
実は、それ日本人だけが持つ特殊能力。
イギリス人のある研究員が路上でぶつかって謝るのはイギリス人だけ?という実験を行なった。
実験のために研究員がわざとぶつかろうと世界各地で調査を行なったが、日本人だけ、ぶつかれない。
日本人の回避能力の謎
では何故か?
文化の違いから来ているとされていて、日本人は、人との距離感を大事にしていて親しい人にも一定の距離を取ることが多いのに対し、
欧米では、そこまで親しくない人にもハグやキスなど人との距離感が近い。また、土地が狭い割に人口が多い日本は、先ほどのパーソナルスペースの件もあって、私たちは特殊能力を得たとされる。
13日の金曜日:幸運な日
13日の金曜日は幸運な日です。
ジェイソンでも有名な13日の金曜日。西洋では不吉な日として知られている。
ちなみに、ジェイソンの武器といえばチェーンソーのイメージがあるけれど、実は作中で一度もチェーンソーは使われていない。
ジェイソンの話はさておき、まず何で13日の金曜日は不吉の日は不吉の日と言われているのだろうか?
13日の金曜日自体に何があったのかはフランス王フィリップ4世テンプル騎士団を一斉逮捕したのが13日の金曜日だった。
西洋においては“13”が忌み数。“金曜日”が凶日とされ、それぞれに起源となる出来事がある。
13が不吉なのはキリスト最後の晩餐に参加したのが13人。北欧神話で神が祝宴をしていた的に人気者のバルドルを殺したロキが13人目の乱入者
金曜日が不吉なのはキリストが十字架にかけられた金曜日。アダムとイブが禁断の果実を食べて追い出されたのが金曜日。
これらを起源とする説が有力でフランス🇫🇷パリ同時多発テロが行われたのも13日の金曜日だったり不吉なエピソードが多いのだ。
しかし、フランスでは不幸×不幸=幸運という考え方から13日の金曜日は幸運の日とも考えられていて宝くじを買う人が多いそうだ。
ポテチは嫌がらせから生まれた
ポテチの名前で愛される人気のスナック菓子ポテトチップス。
パリッとした食感と絶妙な塩味、ジャガイモの風味が堪らない。
ハンガリーでは肥満対策でポテチ勢があるほど。
実は、そんな皆大好きポテトチップスは嫌がらせのために生まれたんだ。
まず、日本でポテトチップスが生まれたのは1962年のこと。今ではカルビーのほうがポテトチップスというイメージが強いが、湖池屋が日本で最初に発売。その13年後に出てきたカルビーと二大勢力で成長していった。
さらに遡って世界でポテトチップスが生まれたのは1853年のこと。日本だとスナック菓子のイメージが強いポテトチップスだが、当時は料理として出されていた。
ニューヨークのレストランのシェフが富豪から「フライドポテトが厚すぎて美味しくない。」とクレームを何度も受けていた。
度重なるクレームにシェフは嫌気を差し、嫌がらせをしてやろうとフォークできないぐらい薄くスライス。
ジャガイモをカリカリにして塩をまぶしてやった。すると、クレームをしていた客は、その薄いフライドポテトを絶賛。そこで、「サラトガ・チップス」と名付けてメニューに載せると大人気。
数多くのレストラン・菓子メーカーで提供、販売されるようになった。
今日は以上です。
最後まで読んで頂き有難う御座いました。
今後とも宜しくお願いします。
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