見出し画像

【書籍】こころの相続 五木寛之著SB新書

相続といってももちろん不動産、株など金融資産相続のハナシではない。

自分は親からどんなしぐさを、考えを、姿を、あるいは味覚を受け継いだだろうか。
また、暮らした土地、地域から沁みついたものは何だろう。

昭和7年生まれの五木サンは、筆舌に尽くしがたい朝鮮半島からの引き上げの経験をしている。それはエッセイの中でも、以前より少しずつだが頻繁に書き記されている印象を持つ。14人の作家による文庫オリジナル戦争小説集、「永遠の夏」(末國善己編、実業之日本社文庫)にも「私刑の夏」を寄せている。

若くして両親を亡くし、親から受け継いだものは何一つないと思いきや、実は学びがしっかりあったという。

翻って自分はどうだろう。
頭髪、やせ型体型、使いづらい万年筆。
実家でももうどこかに仕舞われた父の遺影のイメージは、自分で今鏡を見るとなんだか似ていると思う。小さいころに海に連れて行ってもらったとか、休日にはチャーハンを作ってくれたなど、些末なことは覚えているが、父は入退院を繰り返し、自分の高校入学式当日に亡くなったので、あまり多く対話をした記憶がない。声は覚えていても、話し方の特徴やくせまではたどれない。

では、母からはどうだろう。
洋裁で身を立てるという道もあったようだが、結婚して家庭を守るという道を「選んだ」と以前聞いたことがある。昭和30年、40年代といえば高度成長まっただなか、ほとんどの女性は同じ道を「選んだ」ことだろう。

月並みだが、家庭の味、家庭での調理やスタイルを目の当たりにできたのは有難かったと思っている。食べ物を粗末にしない、しっかりだしをとる、献立は大人と子供をきちんと分けて父の酒の肴を準備する。

そんなスタイルを見たおかげで、今でも子供たち---といっても今はほとんど家にはいない---に食事を用意するのは苦ではないし、たとえインスタントが混ざったとしても何かしらひと手間加えることは必ずするようにしている。これは素晴らしい「相続」だと自画自賛している。いや、自画自賛ではなく親に感謝だった。

一生懸命に何かを残そうなどとは思わないが、「人の手本にはなれないが、見本くらいにはなれるだろう」と密かに思っている。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集