見出し画像

父への手紙 11 意外と自炊できる

 父は、学生時代に下宿をしていたこともあり、自炊がある程度できる。勿論、シェフのようにレパートリーがいくつもあるわけではなく、5本の指に入る程度で、洋食はない。

 しかし、父が作る料理に関しては、母は敢えて作らないようにしていた。同じ料理を作るなら、父のレシピの方が美味しいと母も認めていたからだ。

  •  芋の煮っころがし

  •  アジの開き

  •  納豆ご飯

  •  味噌汁

  •  塩らっきょう

 母が家を空ける時は父が料理を作っていたが、この料理しか出ない。この中で料理と言えるのは、芋のにっころがしだけかもしれないが、このジャガイモは確かに美味かった。

 ジャガイモは、通常の大きさのジャガイモではなく、小粒のジャガイモで皮ごと煮る。

 恐らく、その後、油と醤油のみで味付けされている感じ。いつも、油と醤油が綺麗に分かれて、たれのように皿の下の方にたまっていたのを覚えている。

 このたれらしきものをつけて食べたいのだが、あぶらがそれを許さない。でも醤油だけだと、塩辛いまま芋に沁みこみ不健康。

 油によって醤油が若干つく環境を作り出し、芋に沁みこまない状態で醤油味で楽しめるようにできているわけだ。

 正直、この作り方が一般的なのかよく分からないが、自分が食べる芋の煮っころがしはこのタイプか粉ふきいもしか知らないので真相は定かではない。

 ただ、父レシピとして受け継がれているレシピだが、父以降、まだ誰も受け継いでいない。

 次は塩らっきょう。

 どこかで塩らっきょうに関して言及したかもしれないが、巷に出回っているオーソドックスならっきょうは、決まって甘酢らっきょう。

 カレーに入れるために購入される方もいることでしょう。

 私が初めて食べたらっきょうは、父が漬けた塩らっきょう。

 サイズも大きく、当初は、そのサイズが標準のサイズだと思っていたが、スーパーに行くと全て小ぶりのサイズだったことに驚いたほどだ。

父が塩らっきょうを作るには理由がある。

  • 塩らっきょうがあまりスーパーに売っていない。

  • スーパーで売られているらっきょうは、塩らっきょうでも甘さがある

 父は、基本的に甘いものは嫌いで、ケーキなどのスイーツはまず食べない。果物やソーダ類は好んで食す。

 特にコーラは好きで、甘いもの嫌いと言いながら、当分の量で言えば、矛盾する理論を独自に持っている。

 父のらっきょうレシピは、塩でつけて鷹の爪フレークと一緒に漬けておくため、市販で売られているピリ辛らっきょうよりも辛い仕上がり。 
 
 お酒をたしなむ方であれば、かなりいい感じのおつまみだと思う。

 今のところ、塩らっきょうをスーパーでも見るが、父のレシピに近い味に仕上がっているものは売られていない。

 逆に言うと、高血圧にまっしぐらな味付けになっていて需要が0になる可能性が高いのだと思う。

 次に納豆だが、納豆は地域によっても様々な食べ方があると思う。

 留学時代に知り合いが、卵の黄身と刻みのりを入れていたのを見て、こういう食べ方もあるのかと初めて知ったくらい。

 今日では、卵入りのたれが入っている納豆も売られているので誰もが卵を混ぜることを知っているのかもしれないが、高校を卒業するまで、「おかめ極小粒納豆」しか食べたことがない私にとっては、ネギ以外を混ぜて食べる納豆にはカルチャーショックを受けた。

 父は、何をやるにも、自分が習得したやり方以外の方法は受け付けない頑固な性格をしている。

 私も納豆は毎日何度も食す程好きな方だが、時間に余裕があればネギを入れたり、別の小皿に移してネギも加えて用意したりするが、時間がない時は、ネギも入れず、納豆の発泡スチロールの入れ物の中で、たれとからしと一緒に混ぜて、お椀によそったご飯の上にそのままかけて食べてしまう。

 父は、こういうイレギュラーがだめで、是が非でもネギを入れる。「早稲田、慶応、中央大学法学部以外は大学じゃない」という父に相応しいくらい、「ネギの入っていない納豆は納豆ではない」の理論だ。
 
 そもそも、納豆自体が栄養満点なのに、父の中では、ネギがメインの納豆はサブキャラに近い考え方が存在する。
 
 私が子供の頃、父から「ネギは頭が良くなるから食べなさい」と何度も言われて育ち、ネギが必ず入っている納豆を毎日のように食べていた。

 栄養があるから、病気をした時にも欠かさず食べていたが、吐き気がする時にも納豆を食べ、その後嘔吐してしまったことから、暫く納豆に別れを告げた時期があった。
 
 「ネギは頭が良くなるから」という言葉は、恐らく小学生くらいの時から聞かされていて、程なくして高校受験を迎え、第一希望に見事不合格。

 大学受験は、一浪して、現役、浪人合わせて全滅。大学を卒業し、新卒の就職面接で全滅。

 50に近い現在、8社程転職を歴任したが、ネギの恩恵はまだ実感できていない。

 父のネギ理論と同様に、父から聞き伝えられた迷信に、生卵を割った時にある、君の隣にひょろっとついている「白いひも状のやつ」と言えば何のことが分かる人もいるだろう。

 調べてみると「カラザ」と呼ばれるものらしく、卵の黄身を卵の真ん中に吊り下げるハンモックのような役割を果たしている、アウトドア製品のようなものだ。
 
 父は、カラザのことを「鳥の目」と私に教え込み、「鳥の目を食べると眼が潰れる」と追い打ちをかけるように、虚偽の発言を繰り返した。

 たまごかけご飯を食べる時は、カラザだけを取り除いて食べていたが、卵焼きを作る時も取り除いていた。

 目玉焼きの時だけは取り除かない。

 恐らく卵をフライパンに落としてしまえば、そのまま白身として消えてしまうというのが父の理論なのだろうが、それなら卵焼きだって同じだろう、と幼心に疑問に思っていた。
 
 社会人になってからは、カラザごと卵かけご飯を食べていて久しいが、まだ目はつぶれていない。

 それよりも、父の言いつけ通り、カラザを除いて食べ続けていた学生時代、中学の頃より視力は低下した。

 社会人になって更に低下した。

 これ以上低下しないだろうという視力になってからカラザを食べ始めたが、視力の調子がおかしかった時期は、カラザを食べていない時期に限る。
 
 父は読書家だった。あれだけ読書をしていて学問の成績もよかった父が、なぜ「ネギを食べれば頭が良くなる」「カラザを食べたら目が潰れる」理論に疑問を呈するほどの考察ができなかったのかが、今日においても未解決ファイルに格納されている。
 

父への手紙


 親父がネギの下りで伝えたかったのは、子供に栄養のあるネギを食べさせるための処世術だったことは、恐らく誰が読んでも納得できると思うたぐいのものでしょう。

 しかし、カラザを食べさせないための努力は、何を達成させたかったのかは、未だにⅩファイルです。

 カラザを「鳥の目」と教え込んでいましたが、今日ググると「鳥の目ではありません」と出てきます。

 また、カラザには「シアル酸」と呼ばれる、卵白には含まれていないカラザ特有の栄養素で、インフルエンザウイルスにも有効とされる栄養素だそうです。

 目玉焼きでは、そのまま焼いて食べてしまっていたのに、卵焼きの時も同じ焼くにも関わらず、カラザ除去手術を行っていたことに関しての謎は、未だ解けぬまま介護生活に入ってしまいました。

 これが心残りの一つでもあります。
 
 芋のにっころがしと塩らっきょうに関しては、親族の誰もが正確な内容を知らぬまま、レシピは秘伝のままとなってしまいました。

 しかし、このまま秘伝としておいた方が価値は高まりそうなので、手を付けずにこのままにしておくことにします。


いいなと思ったら応援しよう!