Growth Minder

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マガジン

  • 昇らぬ太陽

    幼少期から今に至る迄の多くの挫折とそこから這い上がることを繰り返して、強靭な精神力を築き上げた様を自伝のように書き連ねていくエッセイ。

  • 仕事術

    効率的な仕事に必要な仕事術をまとめます

  • 実際に使われている英語

    日本人は英語を勤勉に学んでいるにもかかわらず、会話ができない理由は英語教育のアプローチにある。英語教育が民主化される前は、海外との貿易など具体的な目的のために英語を学んでいた。しかし、民主化以降、英語は科目として学ぶものになり、実用性よりもテストでの高得点を目指すものに変わった。 その結果、目的を失った学習者が実用的な表現を拒絶するようになり、英語を話せない日本人教師の指導を受け入れ、ネイティブスピーカーの指導を受け入れないことが、上達を妨げている。現代の英語教育は変革の時期にあり、テストで評価するのではなく、英語を科目として排除し、他の教科書を英語で書くことが求められている。

  • 父への手紙

    亡くなった父を弔うための手紙を認めたもの。

最近の記事

  • 固定された記事

企業におけるサイコパスとブラック企業

日本は、ブラック企業が多いと言われているが何故なのか、とアメリカ生活から戻ってきて10年経過した自分の疑問は、未だに未解決のままでした。 帰国して10年、実に5社で働いて感じたのは、外資系を含め、会社都合なのに自社都合で辞めさせる文化は普通に行われている気がしています。 会社都合での解雇などは、アメリカの方がもっと頻繁に普通に行われているというイメージが強いものの、アメリカでの就労は正社員としては3社、うち1社だけが会社都合の解雇、理由は合併によるチームの解散でした。

    • カーチェイス

       治安の話のついでにもう少し話そうと思う。CUAというスラムのど真ん中に立地する大学で3年間を過ごした後、学費の関係で州立への転学を親から促された。私立にだと資金が底をつきそうだという。  連絡を受けて直ぐに州立の2大学を受け、二つとも合格したが、メリーランド州にあるタウソン大学へと転学をする。メリーランド州とバージニア州は、DCに隣接する州なのだが、そのDCに近い地域をメトロポリタンという。DCのメトロでもアクセスできる距離にあるメリーランドとバージニア州の事だ。  タ

      • 毎週更新される行方不明の張り紙

         これは、私が1995年に入学をした大学の学生寮の入口に、毎週更新される、「人を探しています」の張り紙だ。私が入学したCUAは、スラム街のど真ん中に立地する大学である。もちろんだが、設立当初は、荒廃していたわけではない。  詳細なデータはないが、1980年代を例にとってみると、80年代のDCは、全体的に犯罪率が高く、特に暴力犯罪が目立っていた。これは、当時の全国的な傾向とも一致している。  薬物や暴力犯罪が急増する背景としては、経済的困窮や社会的不平等も犯罪率増加に寄与し

        • 車上荒らし

           大学を卒業した後で、2度ほど車上荒らしにあったことがある。1回目は、知り合いの車でボルチモアに行った時。2度目は、ブルックリンに仕事で路上駐車をしていた時だ。  ボルチモアの時にあった車上荒らしでは、路上駐車していたが、決して暗いところではなかった。寧ろ、街灯で周囲が明るいところでやられたのだ。 ボルチモアという地区は、メリーランド州にあり、ニューヨークのマンハッタンが、治安の悪い地域ベスト10からランク外になるほど安全な地域になった時に、デトロイトを抑えて堂々の1位を

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        企業におけるサイコパスとブラック企業

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        • 昇らぬ太陽
          95本
        • 仕事術
          2本
        • 実際に使われている英語
          28本
        • 父への手紙
          26本

        記事

          毎晩聞こえる銃声

           この大学は、スラム街のど真ん中に大聖堂を建設し、その敷地内に大学の施設を立てている。 キャンパス内はいたって平和だが、敷地を出ると、急に治安が悪くなり、本当にスラムの街を歩いているかのような光景になる。  寮の入口には、毎週「行方不明者を探しています」という張り紙が、新しいものに更新される。それは、誘拐かもう既に息絶えてしまっているかという人が後を絶たないことを意味している。 それくらいの危険地帯なのだ。  寮にいると、毎晩のように銃声のような音が聞こえてくる。昔あ

          毎晩聞こえる銃声

          寮生活

           こんな英語力でよく留学するなと思う人も多くいるだろうが、そんなもんである。行動したもの勝ち。来たばかりの頃の英会話力は、3ヶ月日本にいてもアメリカにいても変化は何もない。ただ、少なくとも生きた英語を3ヶ月「聞き始めてる」のは確かで、そこで何年後かに差がつくと思えば、最初の痴態など気にならない。  さて、寮生活だが、合同合宿で共同生活は慣れたものの、今までは日本人同士だった。分からないことがあっても、言葉が通じるというベネフィットがある。しかし、この日からの寮生活は、ルーム

          大学入学

           夏学期も終わり、漸く自分が通う大学へと移動する日が来た。この大学では、ジョージ・ワシントン大学の学生以外に、カソリック大学(CUA)とアメリカン大学(AU)の学生が夏学期を一緒に受講していたが、カソリック大学とアメリカン大学の学生が、各々の大学へと旅立つ日が来たのだ。  布団のセットは、バンで運んでもらったと思うが、GWUからCUAには、メトロを使って移動した。GWUは、綺麗な街の中にあったのだが、メトロがCUAに近づくと、地下から地上へと出てくる。 そこから目に見える

          GWUでのルーティン

           GWUでのルーティンは、午後の早い時間に全ての授業が終わると、夕飯までには時間もある。かといって、宿題は30分もかからない程、簡単なものばかりだった。  ここは都市型の大学でキャンパスがない分、外の世界へのアクセスが良い。というより、外の世界に立地している大学なので、クラス棟を出たら、すぐ目の前にCDショップがあったりする。 大学の近辺で時間を潰す時は、ジョージタウンという町に歩いていく。車で行っても駐車場がない場所。  この辺りでは、有名なショップ通りなのだが、家賃

          GWUでのルーティン

          国籍による特徴

           英会話の上達には、国籍に寄って如実に差が表れる。まず、一番分かりやすいのは日本人の英会話力。短期留学の経験がある人なら、ある程度話すコツを既に理解しているので、通常の日本人の英会話力の中には入れないようにする。今から話すのは、理論上の事はかなりよく知っているものの、英会話を一度もしてこなかった日本人の英会話は、8割方、文法の間違いを恐れて話そうとしていない。  初めてアメリカに行く人から、アメリカに在住している全ての外国人を見た時、肌の色に関係なく、全てアメリカ人に見える

          国籍による特徴

          夏学期

           夏学期が始まる前に、再度入寮手続きを済ませた。テキサスの合同合宿で使った州立大学は、映画に出てくるような広大なキャンパスを持つ大学だった。広大な敷地を持つ大学は、その地域の特性を反映している。 しかし、ジョージ・ワシントン大学(GWU)は、ワシントンDCの北西部に位置し、キャンパスというものが存在しない。都内のビル群の中にキャンパスが溶け込んでいるような形で、ビルの一つ一つがGWUそのものである。 学生寮も横に長い建物ではなく、上に高い高層ビルで構成されていた。敷地が限

          各地域へ向けて出発

           さて、テキサスの合同合宿も終わりを迎え、各生徒は、自分が入学する大学へ向けて、本当の意味での旅が始まる。翌日になれば、各々違う飛行機に搭乗して、ばらばらになるのだ。  テキサスで初めて出会い2週間の間で友人となった人と再会できるかは定かではない。この日が、本当のラストデイになるのか、再会する縁があるのかは誰も分からない。  私たちは、仲良くなった人達の大学の住所と大学名、寮の名前と部屋番号をお互いに託し、最初は手紙でやり取りをしてつなぐことにした。 当時は、LINEも

          各地域へ向けて出発

          寮生活を学ぶ

           留学をしなかったら、一生寮生活を経験しなかっただろう。日本でも全寮制の高校はあるが、そういう学校に行くのは、ごく限られた人数でしかないだろう。  大学に入学した時に分かったことだが、1年生になると、その大学の目と鼻の先に住んでいる人を除き、寮生活をしなければならなくなる。生徒は全国から集まる。  私の大学はDCなので、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ペンシルバニア州、デラウェア州からは多く来ていた。それ以外にも、シカゴのあるイリノイ州やデトロイトのあるミシガン州など

          寮生活を学ぶ

          TOEFLの模擬試験

           このエージェントを通じた留学では、TOEFLが免除されていた。合格に至る要件は、エッセイの提出とエージェントが作成したと思われる英語力を測るテストの二点だけだった。そのため、TOEFLを受ける必要はなかったが、現地で全員が模擬試験を受けた。 TOEFLの試験時間は昼一にスケジュールされていたが、これは非常に不適切だった。昼一のテストは睡魔に襲われやすく、集中力を保つのが難しい。理想的な試験時間は朝二くらいだ。私が当時は朝型人間ではなかったが、今では朝7時が最も頭が冴える時

          TOEFLの模擬試験

          カフェテリア

           昼食や夕飯は、大学内のカフェテリアを利用する。バイキング形式で、好きなものをトレーに載せて、最後にお会計をするというアメリカの基本スタイルである。  ここでのカルチャーショックは、全て美味しそうではないということだ。令和の時代では、日本のレストランは、美味しくて安い世界である。牛丼など、500円もしないで食べられる。 日高屋の中華麺だってかなり安いし、王将の餃子も美味しいのに、非常に手頃な値段である。その料理と天秤にかけてしまうわけなので、全て大味で食べたいと思いにくい

          カフェテリア

          合同合宿

           ダラス空港に到着した我々は、バスに乗り込み、そのままミッドウエスタン大学へと向かう。そこが合同合宿の場所となる。一つの飛行機には、全米へ散らばる全ての生徒が搭乗していた。箱崎でも会話を交わしていない人達ばかりだ。この合宿所に到着して漸くお互いを知ることになる。  各生徒は、大学の寮に泊まることになる。各部屋は、二人用の部屋でベッドが2つ用意されている。シャワーとトイレは共同のものを使用する。各人、ルームメイトを割り当てられ、共同生活の練習をする。 日本人は、プライバシー

          渡米

           渡米当日。5月の中旬である。この日を迎えるまでに、私は、一度も海外に足を踏み入れたことがない。パスポートを作ったのも、この時が初めてある。恐らく第一の難関は、入国審査場であることは間違いない。 何名ものカウンセラーもこの日に同時に北米へ渡り、集団合宿に参加する。カウンセラーからは、 「『何しにアメリカへ入国するのか』と聞かれたら、『Study』と応えなさい」と言われたものの、私レベルの穎川力では『何のためにアメリカに入国するのか?』という質問すら聞き取れないはずなのだ。離