青山で BAR をやる、はずだった。
青山で BAR をやる、はずだった。
親父が青山に土地を持っているのを知っていたからだ。
青山といえば、東京の一等地。サザンの桑田さんのいた青山学院大学もある、お洒落な街の代表格だ。
そんな青山に土地がある。
中学生くらいだった僕は、まだ行ったことのない、憧れの土地で、いつかお店をやれる、(当時はまだ BAR という考えはなかったと思うが、喫茶店のようなお店をやりたいと、密かに描き始めていたように思う。)
そんな夢を、日々抱きながら過ごしていた。
時は第二次高度経済成長真っ盛り。「不動産バブル」「地上げ屋」などという言葉が飛び交い始め、中学生も終わりになりかけていた僕の耳にも、そんな話が図らずとも入ってくる時代になっていた。
折に触れて「青山の土地が・・」と、母親と話していた親父にも、当然そんな話が届いていないはずがない。
なんだか子供が要らぬ詮索をするようで、これまで深くは聞いてこなかったのだが、そのときは思い切って聞いてみることにした。
「ねえ。青山の土地は大丈夫なの?」
「は? 青山? ああ、あんなものは放っておけばいい。でも、なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」
そのとき、初めて知ったのだ。
青山とは、東京の「青山」ではなく、三重県伊賀市北山字宮下の「青山高原」だということを。
おそらく、親父が大阪勤めだった頃に、リゾート向けの不動産投資話に乗っけられて買わされたか何かだろう。
今では手入れも行き届かず、鹿が自生するような、山奥の放置物件だ。
買った当時も50万円ほどだったらしい。(断っておくが坪単価ではない。優に一戸建てが建つ100平米を超える土地丸々ひとつが、だ。)
そんなものに僕は長い間・・・。
青山でお店をやるという、僕の夢は脆くも崩れた。
お洒落な内装も、響き合うグラスの音も、大きなスピーカーから流れるJAZZの演奏も、素敵なスーツに身を包んだ大人達の語らいも、満足そうな店主の微笑みも、
全ては一瞬で消え去った。
あんまりだった。
これでは、「彼女と一緒の大学へ行くんだ!!」と、何も知らずに「お茶大」を目指して猛勉強していた男の子と変わらないではないか。(ちょっと違うか)
でも、
仕方のないことだと思う。
勝手に人の土地を当て込んで、勝手に夢を膨らませていた、自分がいけないのだ。
話は振り出しに戻った。
ゼロからの(気分的にはマイナスからの)スタートになった。
それから僕は普通に大学へ進学して、普通に社会人になって、普通に日々を過ごした。
でも、
やっぱり諦めきれない気持ちがどこかにあった。
「別に土地がなくったって、自分でやればいい。」
やがて、細々と貯金をするようになり、何年か経ってそれなりの額になると、思い切って会社を辞め、数年の BAR での修行を終え、独立して「店を出す」という決意を親父に話してみることにした。
ずっと勤め人だった親父だが、意外にも二つ返事で了承してくれて、おまけに会社を設立する際の、出資と役員を請け負ってくれた。
その後も、定款作成や経理会計など、彼の得意分野だったこともあるのだろうが、
設立当初の不安定な状態を支えてくれて、本当に有難く思っている。
母親からも「お父さんに感謝しないとね。」と、事あるごとに言われている。
彼が生前やってきたビジネスの規模からすれば、神田の神保町などという都心の田舎町でやる小さな BAR など、ビジネスのうちに入らないのかもしれない。
実際その通りだ。
親父としては、馬鹿な息子がちっぽけな商売を始めて、「仕方ない、面倒見てやるか。」くらいの気持ちだったのだろう。
しかしながら、
実のところを言うと、
僕の中では、
これは故人には最後まで言えなかったが・・・、
長年騙され続けてきたことへの「慰謝料」くらいのつもりでいるのである。
きっと、あの世で親父は「阿呆か」と言っていると思う。
神保町へお越しの際は、是非お立ち寄りください。
最近、「ほぼ日」の糸井重里さんの事務所が青山から神田へ引っ越してきました。
なんでも、青山よりこれからは神田だそうです。
お待ちしております。
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1997
(本文の最後に、お店でよくかける音楽を紹介しています。お家でお酒を飲まれる際に是非どうぞ。今度お店に聴きに来てくださいね。)