「吉井和哉についての二、三の事柄」・13話目
13.『This Is For You』
筆を折ったわけではないが、このシリーズの更新を絶っていた。
だけれど、思いつきで再開してみる。
前回に記した内容とは違う文章になるけれど、御容赦願いたい。
「天国旅行」の列車から一時下車して、今の自分の気持ちを書いておく。
今の気分を反映させたものが、このnoteというメディアに合っている気がするからだ。
吉井和哉の曲に自分のことを絡めて書くことにしている、このシリーズ。
明るい曲より暗い曲の方が、閲覧数が多い。
何故だろう。
閑話休題。
本題に入る
吉井和哉がライヴで雨の話をする時、次に演奏される曲は決まっている。
『This Is For You』
「メカラ ウロコ」と題された、12月28日、THE YELLOW MONKEYの誕生日(=バンドが初ライヴを行った日)に武道館で催された、「特別な」セットリストのライヴでは「優しい愛の歌」と紹介される。
優しい愛の歌。
とても好きな曲だ。
しかし、作曲は吉井和哉ではなく、ギターのEMMAこと菊地英昭のものだ。
『JAM』が初披露された日の武道館公演を完全収録したDVD「TURE MIND NAKED」に入っている、吉井和哉自身が語った「THE YELLOW MONKEY結成秘話」の中で、現在のメンバーになって初めてスタジオでリハーサルした時にEMMAが持ってきた曲が、この『This Is For You』と、言っている。
マニアが聞けばわかるのだけど、David Bowieの『The Prettiest Star』に、特にアルバム収録バージョンではなく、Bowieがブレイク寸前の時期にシングルで発表した、マーク・ボランとの共演バージョンに酷似している。
Bowieファンは「パクり」というかも知れない。
事実、意識されているのは確かだし、そう言われても仕方ない部分もある。
でも、俺はこう言う。
「こっちの方が好き」
インスパイアされて作られた曲で、似ている演奏をしていても、オリジナルを超える曲、というのはあると思う。
俺はこの『This Is For You』がたまらなく好きなのである。
ファンの人気が高いのもわかる。
若かりし頃のメンバーの、若さと色気がこの曲に彩りを添えている。
それに。
歌詞の内容が、特にファンを刺激してやまないのだろう。
歌詞を全文引用したいところだが、いろいろあるので、いつものように短い引用を重ねる。
「雨の中を傘も差さず 名前も知らないあの男」と
「何故か僕は目の前が暗くなるのも恐れずに」
「降り続く雨の夜に契れ」る
……そういう歌だ。
この歌詞のモデルは、David Bowieと、Bowieのグラム・ロック時代の相棒・Mick Lonsonだろう。
ふたりは音楽での結びつきで強く結ばれ、実際の性的関係はない。
バイセクシュアルであることを公言していたBowieと関係を結んだ人物は別にいる、とされている。
(一説によれば「世界一のタラコ唇のロックスター」と、昔読んだ伝記本にあった)
また、ライヴでのパフォーマンスでは、吉井和哉ことLOVINとEMMAの美しい絡みを見せる。
そこに何かを重ねた女性ファンは多いだろう。
それはともかく。
「同じ性別の一夜の恋」をかくも美しく描いた曲を俺は他に知らない。
「この歌を君に This Is For You」
この歌に出てくる「Coke&Beer」に一時期ハマったこともある。
もうアルコールを飲むことが出来ない体になった今は、永遠に味わえないのだけれど。
この曲はBowieの曲調だけではない。
QueenのBrian May調のギターサウンドも、T-REX調のブギーな部分もある。
ドラマティックに曲は進み、最後は吉井和哉のアコースティックギターのアルペジオと併せて、ささやき声で 「This Is For You」と囁く儚い終わりを迎える。
初期の代表曲を一曲あげろ、と言われれば、純粋なグラム・ロックである、この曲をあげる。
中学生の時から、David Bowieが好きだ。
彼がBlack Starに乗って、火星に還っていった日に、文字通り、泣いた。
それは俺の青春時代の象徴のひとつであり、暗い気持ちを抱えていた思春期にやって来た「屈折する星屑」に別れを告げた日だった。
もちろん未だにBowieの曲は聴く。
思春期に聴いた曲の輝きは、未だ衰えない。
でも、彼はもう存在しない。
まあ、「あと地球にはあと5年しか残されていない」と歌ったBowieは、本当の「世界の終末」を見なかっただけ、幸せなのかもしれない。
David Bowieの音楽の入り口は『ジギー・スターダスト』というコンセプト・アルバムだった。
原題は『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』とえらく長い。
邦題は当初『屈折する星くずの上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ』と、意図的にインパクトを狙ったらしい「誤訳」だ。俺がこのアルバムを手にした時には、オビには『ジギー・スターダスト』とあっさり書いてあったが。
俺が特にこの『ジギー・スターダスト』に固執するのには理由がある。
思春期の「性」の考え方に大きい影響を与えたからだ。
『ジギー・スターダスト』は、「残り5年間しか残されていない」ことをニュースキャスターが泣きながら告げる場面から始まる。
そこへ「スターマン」として若者達の前に「ジギー・スターダスト」と名乗る「火星から来た蜘蛛たち」というバンドを連れた「スター」が現れるが、自分のエゴのために「ロックンロールの自殺者」として地球から去るまでを描く。
明確に、アルバムのライナーノートのどこかにこういうストーリーが綴られたりしたわけではないが、俺はそう受け取った。
ジギーは「僕は鰐 僕は君たちの父親であり母親」と言って登場する。
両性具有者なのだ。
Bowieはこのアルバム発表時、「僕はバイセクシュアルだ」という発言をした。
1970年代初頭のイギリスで、である。
妻がいる身で、公にした。
『ジギー・スターダスト』の前に発表されたアルバムのジャケットでは美しく女装したBowieがいる。
そのジャケットと「バイセクシュアルだ」という発言。
そして「両性具有者」という設定でのアルバム作品作り。
15歳の俺は感化された。
まだ自分の性嗜好及び性指向がはっきりする前だ。
「好きになった人が、好きな人だ」という考えが芽生えた。
それは今も変わっていないのだけど。
当時、高校の演劇部で中性的な先輩がいた。
恋愛感情を抱いたわけではないが、その先輩に、他の後輩と違う目の付けられ方をしていたことはわかった。
思い過ごしではないと思う。
まあ、思い過ごしでも、もういい歳にはなっているけど。
中性だと感じる感情は変わらなかった。
ただ単に恋愛感情を抱くような同性がいなかっただけの話だと思っている。
恋愛感情を抱くような異性もいなかったから。
大学へ行き、恋愛をした。
異性、一目惚れだった。
大恋愛、と、当時は思っていた。
相手の方と恋愛をし、俺のひどい身の振る舞いに愛想を尽かされる形で、その恋愛は終わった。
その後、他の異性に対して、あまりよくない行動を取っていき、そして10年以上恋に落ちていない。
近年特定の人をモデルにした台本やひとり芝居をいくつか作っているが、恋愛感情で作っているわけではもちろん無い、その役・その役者に沿った作品を作っているだけだ。
それが原因で大きく勘違いされたこともある。
そうそう簡単に恋に落ちて劇作していたら、何回吊り橋を渡ったことになるんだ、身が持たないって。
私小説家じゃないんだよ、アタシャ。
(ある信頼している人に、「ニイモトさんは恋多き男ですよね」と言われたことがあるが、んなわきゃないですよ)
「演劇集団LGBTI東京」との出会いが、さらに、俺の性への感情を深化させた。
主宰の小住優利子さんと出会い、2016年『PAIN-AGE』を書き、なんとかモノカキへ復活した。
2年連続で台本を書かせてもらい、いろんな「セクシャルマイノリティ」の人と出会った。
この劇団には「優しい人」が集まる。
小住さんの力も大きいが、みなさんが「生きている」ことに前を向いているからだと思う。
だからこそ、俺は優しい人の出る芝居を書いていた。
大学生の時には「最終的に一番ひどいことを言うのはニイモトさん」と言われてたのにね。
LGBTI東京との付き合いの中で感じたことは、どんな専門書を読むことより、まず「人と人との出会い」が一番大事だ、ということ。
俺は性への考えはフラットだと思っている。
現実知らずで甘い部分は多々あるのは承知で、そう思っている。
否定から入ることはないし、生理現象としてもそれは生まれてこない。
どんな考えを持とうと、個人の勝手だ。
ただ、俺の前に、俺が否定したい考えの人が出てこないでほしい。
それが俺の考えだ。
もう10年以上恋愛をしていないから、恋愛感情の持ち方もわからなくなっている。
ただ、自分の思うままには行きたいし生きたい。
『This Is For You』は、雨の日の歌だ。
今日はちょうど、激しく雨が降っている。
Rainy day silly boy
憂鬱さ 意味もなく Crazy
俺は今、大事なことをやろうとしている。
自分にとって、ある種記念碑的なことだと思っている。
それを、あの15歳の時の俺を裏切らないために、成さねば。
火星から来た屈折する星屑に感謝の意を込めて。
そして今、愛する人々へ。
心から。
「This Is For You」と呼べるものを作る人生を。