「使ったことのない言葉」を文章に取り入れよう
皆さんは「尾籠」という言葉を知っていますか?
ビロウ、と読みます。
私はこの言葉を、2年前に『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本を読んで初めて知りました。
「尾籠な」とは、「下品な」といった意味です。
辞書で調べながら、当時の私はこう思ったものです。
「いや、 ”下品な” って書けばいいじゃん」と。
何でわざわざ伝わりにくい表現を選ぶんだろう。
読む側に負担を掛けてまで。
そうやって文句たらたらでした。
でも、
自分で文章を書くようになって、考え方が変わりました。
今回は、
「あえて、使ったことのない言葉を使う」ということについて書きます。
それでは最後までよろしくお願いします。
「中学生でも分かる言葉で」
文章を書くうえで、よく言われるのが、
「中学生でも分かる言葉で書きましょう」
というもの。
編集者の竹村俊助さんは著書『書くのがしんどい』の中で、
と書いています。
誰でも分かる表現を使ってこそ、すべての人に届く。
正しいことだと思います。
でも今回私はあえて、これに異を唱えたい。
その箱の中で生き続けるのか
では「中学生でも分かる言葉で書くこと」の、何が問題なのか。
私は「自分の文章力が育たなくなる」と感じるのです。
たとえば私が今回学んだ「尾籠」はたしかに「下品」という意味です。
ですがそのニュアンスは「下品」とはビミョーに異なります。
ほんのちょっとですが。
あえて「尾籠」を使うことで、「下品」よりも畏まった雰囲気を文章にまとうことができるのです。
日本語には私たちの知らない言葉がまだまだたくさんあって、
それぞれの言葉たちが受け持っている「ゾーン」が異なります。
でもそこに「中学生でも分かる言葉」という限定を課してしまうことで、
自分の感情の機微も、どこか濁ったまま文字化されてしまう。
「小さな箱の中にある言葉のみ」から選んで作った文章は、どこか味気ない文章になってしまうのではないか。
そのように感じるようになりました。
噛みごたえのある言葉を使いたい
最近読んだコチラの記事。
記事の中で、薫さんは「誰にでも伝わる表現」のことを「流動食」と表現されていて。
言いえて妙、というか。
誰にでも伝わる表現はまさに「誰にでも伝わる」がゆえに、噛みごたえが無いのですね。
ただし、難しい表現が文章を読みづらくするのも、これまた事実です。
矛盾するようだけれど、そこも忘れてはならないと思っていて。
私が「尾籠」を辞書で調べたように、読み手にいくらかの負担を強いることは間違いありません。
だから私は、
「一つの記事に、一つの聞き慣れない言葉を入れる」
ぐらいの用法用量がちょうど良いのかなと思っています。
そしてその言葉も、ルビや注釈によって噛みやすく、飲み下しやすく整えておく。
そうすることで、自身の表現力やレパートリーを成長させつつ、読者の知識も増やすような言葉づかいができそうです。
せっかく毎日のように文章を書いているのだから、もっと私たちは「日本語の奥深さ」を味わっても良いはず。
箱から飛び出して、日本語を、楽しみたい。
そう感じます。
まとめ
今回は
「あえて、使ったことのない言葉を使う」
ということについて書いてみました。
余談ですが、先日『森林に何が起きているのか』という本を読んだら、出てきたんですよ。
「尾籠」が。
二回目だから意味もスッと頭に入ってきて。
新しい言葉を習得することは、楽しく有意義なものだと実感しました。
普段は読書によって得た知見をもとに、記事を書いています。
オススメ本の記事もよろしければどうぞ。
それでは、また。
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