本日の読書 #060 「情報の非対称性が無くなった世界」
参考書籍:『未来に先回りする思考法』佐藤航陽
第二章 すべてを「原理」から考えよ より
情報の非対称性が無くなった世界。
インターネットが行き渡るより前、企業の存在意義は「情報の非対称性を埋める」ことだった。
つまりそれは
「皆さんがまだ知らないことを、当社が教えますよ」
というスタンス。
自分で調べる手段が無かった30年前の世界では、「教えてくれる人」こそが価値的でありがたい存在。
その神話が、インターネットの普及により崩れ去ったのだというのが著者の指摘だ。
インターネットによって、Googleによって、スマホによって、
情報は全人類に共有され「対称なもの」となった。
何でもかんでも「調べれば分かる」になったいま、企業の存在意義は「本当に価値のあるものを社会にもたらすこと」へと変化した。
たとえばそれは、
調べても分からないことを教えてくれたね
聞いたことのない考え方だね
みんなにとって良いことだね
上記のような「公益性」が必要であると。
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さて、ここからが本題で、
インターネットがもたらした「真逆の方向に向かう大きな潮流の変化」は、企業のみならず個人の泳ぎ方にも影響する。
本書では語られていないが、むしろ個人の方がスケールメリットを活かせない点で、苦戦を強いられるのだろうなと思う。
「個人の発信者」は、ネット環境の普及とともに雨後の筍のように現れたために、登場時からいきなり公益性を求められている存在だ。
そして、一億総発信時代、いやむしろ八十一億総発信時代はその状況に拍車をかけ、公益性の「座席」はどんどん少なく、狭くなっていっている。
ではどうするのか。
私は「一次情報」が鍵となると考えている。
つまり「自分が直接体験したこと」を発信するということ。
「体験」は、そう簡単には取って代わられない。
自分の身体が必要で、かつ時間を要するからだ。
たとえば私は30代で、子どもが二人いる。
妻の実家に近い田舎暮らしで、よく野菜の収穫を手伝っている。
「子どもと一緒に10種類の野菜を収穫してみた」
という体験は、たぶんかなり珍しい。
さらにそれを「発信している人」なら尚更だ。
一次情報は、この「何でも調べれば分かる」時代にあって、唯一と言ってもいいぐらい「調べることができないもの」になりうる。