本日の読書 #058 「学校的知性と社会的知性」
参考書籍:『頭のいい人が話す前に考えていること』安達裕哉
第二章 頭のよさを決めるのは「だれ」だ? より
学校的知性と社会的知性。
学校的知性とは、教科書や授業を通して学習できる学びのこと。
数学や歴史、科学、文学などもこれに含まれる。
学校で学べるから、学校的知性。
対して社会的知性とはアメリカの心理学者ダニエル・ゴールマンの提唱した概念で、対人能力や社会性の高さのこと。
馴染みのある言い方なら「コミュ力」だろうか。
著者の安達氏によれば、多くの人が、
学校的知性 → 社会的知性
の順番で身につけようとしている。
つまり社会人になるまでは学校的知性だけを磨き、社会人になってからは社会的知性だけを磨く、というスタンスだ。
しかし、理想的なのは、
学校的知性 ⇄ 社会的知性
なのだと。
言い換えれば、社会人になっても学校的知性を磨き続けることが大切、ということになる。
自分としても、社会人になってから学んだことの方が、学生時代よりも「楽しい!」と強く感じる。
義務教育で学んだことのほとんどが「ただ暗記した記憶」だ。
これは受験自体が「そういうもの」なのだから仕方がない。
ペリーはただ単に「日本へ来航した人物」に過ぎず、彼の没年や海軍における地位などは、(たとえ好奇心が芽生えたとしても)大して役には立たない。
しかし今、私たち社会人は「記憶力を競うゲーム」をしていない。
だから知り得た知識を深く掘り下げてもいいし、広く延ばしてもいいし、何なら忘れることを選んでもいい。
つまり社会人こそが、学校的知性に対し、好意を持って迎え入れることができるのだ。
私も読書において、完全に自分の興味の赴くままに本を選んでいる。
「役に立つ」とか「スキルアップ」とかは完全に度外視で、ただ好奇心だけを駆動力にして日々楽しく読書している。
社会の中に埋め込まれて生活していると「学生時代は自由だったよな」と回想することもあるが、こと学習に関しては、「社会人こそが自由である」と、胸を張って言える。
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