本日の読書 #074 「一汁三菜と一汁一菜」
参考書籍:『くらしのための料理学』土井善晴
第二章 料理には「日常」と「非日常」がある より
一汁三菜と一汁一菜。
一汁一菜とは「ご飯とみそ汁と、小鉢が一品」という意味だ。
現代を生きる日本人としては馴染みが薄い。
どうしても「一汁三菜」という表現の方がしっくりくる。
しかし著者によると、一汁三菜とは戦後、西洋に憧れて無理やり庶民に浸透させられた概念だと。
ほう。
もともとは一汁一菜が基本で、一汁三菜は「おもてなし」の料理だった。
それが高度経済成長期に「専業主婦」という新しい職業が生まれたことによって、家庭の「当たり前」になってしまったのだ。
そこには、西洋に憧れ、日本人を「高栄養」に向けて焚き付けようとする意図があったという。
そうして「毎日の」一汁三菜を国民に課すと、やがて弊害が起こった。
今度は特定の栄養素が過剰となってしまったのだ。
いま、日本人にも生活習慣病が増加していることは言うまでもない。
重度の糖尿病を患った祖母のことを、よく思い出す。
彼女は目が見えなくなって、いつも孫の私に捕まって歩いた。
さて、本書で推奨される「一汁一菜」とは、ご飯と具沢山の味噌汁、そして漬物のみ。
味噌汁の具はトマトでもベーコンでも目玉焼きでも、なんでもよいという。
基本的には毎日それで、たまにもう一品、魚を焼いたものがあっても良い、ぐらいの温度感で語られる。
まあこれは少々極端な例だとしても、「ご飯とみそ汁と小鉢」なら十分満足できそうだし、
抵抗があるなら「週に二回は一汁一菜にしちゃおう」みたいな運用方法でも良いだろう。
私は妻に専業主婦をしてもらっている。
彼女はいつも豪華な料理を作ってくれて、それこそ一汁三菜だ。
仕事から帰るとすぐに食べられるのが、この上なくありがたい。
本人は「専業主婦だからこれくらいは」などと言うが、毎日のこととなると難儀だろう。
ただ、私が「一汁一菜でも良いよ」などと軽はずみに発言をするのも、どうなのかとは思う。
「料理が好き」と公言する妻の矜持に関わる、デリケートな問題だ。
だからとりあえずは、自分で料理を作るときに「一汁一菜」を取り入れてみようと考えている。