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「やりたい」が抑えられない

依存症の諸症状を克服すべく、まずは知識から!と関係書籍を読み始めました。

自分自身では認めたものの、やはりまだ自分以外に「依存症だ」とみなされることには抵抗がある…ため、形式は電子書籍にて。紙の本だった場合、いつどこで人目に触れるか分からないから読むときも保管にも余計な気を使いかねません。

まだ読んでいる途中のため、内容に関しては追い追い触れるとして。

いざ読み始めると「あっ、やっぱり私は依存症なんだ」と納得するばかりなのですが、読めば読むほど役に立つ知見が紹介されていてとても勉強になるのですが、いかんせん……スマホを触りたくてウズウズする!!!

いや〜〜それは駄目でしょう、と客観的な視点からは呆れるばかりなのですが(だってダイエットの本を読みながらお菓子を食べているようなものだから)、それでもやっぱり疼いてしまって抑えられない。我慢して読み続けようとしても集中力が低下して、目が文字を追うばかりでちっとも頭に入ってこない。

これは重症だな…と我ながら嫌気がさしてきます。

で、いざ電子書籍をoffにしてスマホを触ってみると、「よし、やるぞ!」と再開が嬉しい一方で「……で、何をやりたかったんだっけ?」と時が止まります。止まりつつ、とりあえずいつも見ているアプリを片っ端から起動する始末。もはやスマホを触ることが手段ではなく目的化していて、いよいよヤバさを感じます。

なぜそんなにもスマホを触りたくなるかというと……

思うに、「電子書籍を読む」という行為があまりにも受動的だからです。

一方的な知識のインプットばかりで、入れてばかりだと苦しくなるような気がして、出したくなる。ずっと同じ姿勢で読むことにも飽きて、何かアクションを起こしたくなる。(対してスマホ使用中は長時間同じ姿勢でいても全く飽きないので、それは矛盾するしその矛盾こそが症状だなとも思うのですが…)

「何かアクションを起こしたい!」ときに最も手っ取り早いのが、私にとってはスマホを触ることなのでした。だってSNSを開けばいつだって自由に発信ができるし、関連する情報を検索するにしても立派な動作です。同じ「画面を見つめる」行為でも、指先を動かしているだけで能動的になれている、気がするから。(実のところは、ただの時間の浪費にすぎないことが多いのですが…)

やっぱり人は、生きているかぎりは、どこかで能動的になりたいものなんだなと実感します。依存的行為を選択するのも、それが「能動的な選択」に感じられるからなのかもしれません。はたから見たら「依存症」という症状によって引き起こされる、完全に受動的な選択なんですけどね…!

しかし、今の自分はこれまでの自分とちょっと違う。

「何かアクションを起こしたい!」と疼いたときに、その衝動をぶつけられるnoteがあるではないか!! 従来ワンパターンだった「スマホに触る」以外の、新しい選択肢。

ちょっとずつでもパターンを崩していけたら、何か前向きな変化があるかもしれない。新鮮さに期待を抱いて、パソコンを開いて、そうしてこの投稿を書き上げるに至ったのでした。

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