価値観の根源。
脳とPCを繋げられたらいいのに。
最近ふと、そんなことを考えてしまった。
末恐ろしい。
なぜかって、アウトプットが思うように進まないから。
noteをはじめたばかりの頃は、その日の出来事や感じたことを、こまめにスマホにメモしていた。さかのぼって読んでみると物凄い量。ほんとにほんとに些細なことも記録していたんだなと我ながら感心する。
けれど近頃はnoteどころかスマホのメモをひらいて文字を打つことすら少しハードルを感じる。
あぁ今こんなこと考えてる、メモしようかな、と一瞬考えるもののついつい後回しになってしまう。
後で時間が出来たところでそのとき感じたことをメモしようと思っても、なかなかその記憶をさかのぼれない。
事柄は思い出せても、鮮度が違う。思ったことをそのときの感覚で表現するのはすごく難しい。
だから今思ったこと、感じたこと、即座にPCの文字となれ!と思ってしまったわけなのです。
スマホに長文を打つのが面倒なときは声で入力したこともあったけど、あれはなんか違った。慣れていないせいか噛みまくるし、自分の思いが声で再生されるとちょっと冷める。なぜだ。
秋めいてきたので、そろそろ今年も読書感想文を書こうと思う。
✳︎
先日読了したのはこの本。
本編の『ままならないから私とあなた』は、人の価値観の違いがテーマになっている。
「みんな違ってみんな良い」みたいな考えは今となっては当たり前に語られている。
だけど、「良い」とは言えても重なりきれなかった各々の思いはどこかへ置き去りになってしまいがち。
そんなことを、ほんのりと思い出させてくれる。
主人公の雪子は『人間らしさ』を大事にしている。
友人の薫は、『合理性』を大事にしている。
小学校のころから仲の良かったふたりは、一緒に多くの時間を過ごした。その時間は絆を深めるのと同時に見えない溝も深めていく。
最初この物語を読んだときの素直な感想は、どっちも両極端!と思った。
人の温かみは大事だけど、そこに囚われすぎな雪子はとくに危なっかしいなと感じた。これは私がドライな性格だからかもしれない。
薫は合理性を突き詰めすぎて人の気持ちをないがしろにしてしまっている。
お互いに足りないものを補うという関係性で描かれていないのがこの物語の味噌で、そこにはやっぱり苦しさを感じた。
でも同時に、ふたりが羨ましいとも思った。それは友情というより、ふたりの持ち合わせた確固たる自分の価値観が後にきちんと表明されたことに。
人の許せないところ、受け入れられないところを感じるのって、それが自分にとって大切にしていることだから。それを気付かせてくれるのはいつだって自分じゃない誰かだ。
私はそういう自らの湧き上がる気持ちを、誰かにぶつけたことがない。
正解はないと分かりつつも、間違いだけは犯さないように細心の注意を払って人と接してきた。そういう嗅覚が敏感なんだと思う。
こういう性格って、人にとって大事な体験の機会を逃してしまっている気がする。
そして私の場合、すべての事柄にバランスを求めてしまう。多数派がいれば無意識に少数派に肩入れしていたり、偏りを恐れてなんとなく均一にしようとしてしまったり。
このバランス感覚は役に立つこともあるけど、自分では少しうーん、、とも感じる。ムラがあってこそ人間。人生。
よっぽどふたりの方が人間やってるよ。
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ドラマやアニメで良くある、ヒール役が
「そんなことに何の意味がある」的なセリフを吐くシーン。
個人的にすごく正当なこと言ってるなと思うこと多いんだけど、そのあとのヒーローのセリフってかなり感情的。
「それでも信じる!」
とかで解決しちゃうことあるからすごい。
いやもうちょっと議論しよ?と思うこと多々。
こんな風にエンタメをエンタメ視点で見れない自分もナンセンスなんだけどね。
ふたりの関係性は、もちろん各々がヒーローでもヒール役でもない。
「友人」とまとめれば簡単だけれど、価値観の化学反応はこのふたりだからこそ面白く浮かび上がってくる。
きっとバランサー同士なら違和感も最小で収まり、お互いが妥協して受け止め、衝突することも回避したはず。
それも悪くはないけど、伝えること諦めたくないよね、やっぱり。
自分の持つ『価値観』には何の意味があるのか、それが明確なときもそうでないときもある。
そんなときは信じるしかない。
もしかしたら意味はないのかも、という刹那的な迷いも混じって、きっとヒーローたちは信じると口にするんだろう。
人と接していると、重なりの部分を認識しているからこそ、重ならない、ままならない部分が目立ってくる。そこには面白みや愛おしさ、ときに苦しみが含まれる。
ひとりひとりの価値観を形作る源は、この「ままならない」という体験が根ざしているのだということ、忘れちゃいけないと思った。
違いがあるから、この世界は成り立っている。
✳︎
脳とPCを繋げる云々を考えたとき、私って薫派なのか?とふと思った。
でも結局はこうやって机の上で書いたり消したりをしながら文章を綴っているわけで。
悩みながらも思考が文字として現れる瞬間、この瞬間は替えが効かないものであって欲しいと、少し願ってもいる。
これだよこれ、と湧き上がる実感は、目の前の面倒くささを乗り越えた先にしかない。
私もまだ伝えることを諦めていないんだな、とも思えた。
誰が名付けたか知らないけれど、『読書の秋』という季節があって良かった。すごく。
毎年この季節が、私にとってかけがえのない体験をもたらす素敵な本に、いつも巡り合わせてくれる。
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