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納富信留『ギリシア哲学史』から始まる


本書は、資料論・方法論をふくむ最新の研究成果に目配りをし、これまでと大きく異なる枠組みと視点で、ギリシア哲学史の全体を俯瞰する試みである。(※納富信留『ギリシア哲学史』裏表紙より)

序.

 古代ギリシア哲学を扱う和書としては,内山勝利 編『哲学の歴史〈第1巻〉哲学誕生―古代1 』以来,約十年ぶりの通史です.

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 『古代ギリシア哲学史』(以下 本書)では初期ギリシア哲学から古典期の哲学までの通史です.さて,初期ギリシア哲学(※ソクラテス以前という語は近年用いない傾向)の研究分野では,2016年にエポックがありました.そのことについて始めに説明しておきましょう.

 初期ギリシアの哲学者たちの著作は殆どが散逸(消滅)したために,彼らの著作そのものを読むことは叶いません.そこで彼らの思想を知るために,「資料集」¹を用いることになるのですが,その資料集が,ローブ古典叢書『初期ギリシア哲学』全九巻により,約百年ぶりに刷新されたのです.それまで用いられてきた史料集(『ソクラテス以前哲学者断片集』五分冊)は,編集者のイニシャルをとってDK,新しいものはLMと呼ばれています.

注1)「資料集」を「断片集」と呼ぶのですが,その意味については本書70~72頁を参照ください.

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 新資料集の登場というエポックを受け,著者はどのような哲学史を記述するのでしょうか.
 列伝形式による通史というのが本書の最大の特徴なのですが,実際の列伝に入る前に,文献学の成果の紹介や,哲学史の議論の方法論が提示されます.これらの入念な準備から,哲学の「歴史」を書くという事への強い反省を感じさせます.

「ギリシア哲学とは何か?」

 この問いに対して,言語/地理/年代/宗教/文学(叙事詩や悲劇)との「関係」から考察し,「暫定的」な枠組みの決定までに45頁を費やし,「ギリシア哲学」という実体を妄想するのではなく,関係によって「ギリシア哲学」を浮かび上がらせようとする試みに,歴史書として誠実であろうという著者の意欲を感じます.

歴史における「事実とは何か?」ということについては,
大戸千之『歴史と事実』京都大学学術出版会,2012年
で学べます.

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1. 列伝形式という試み

 列伝形式で哲学史と書くということは,既に古代において ディオゲネス・ラエルティオスに先例があります.

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 哲学者ごとに,その生涯と学説を並べていくというのは哲学史では定番といえるのですが,あえて列伝形式を選択した理由について,著者は次のように語ります.

  この列伝形式の哲学史は、古代ギリシアに始まる西洋哲学史の一つの重要な特徴を表現する。それは個人、つまり著者 author が思索を遂行し表現して独創性 originality を発揮し、その人物の名前が権威 authority を担うという独自の文化である。これは、概して学派や伝統が全面に出る古代インドや中国での哲学と比べると興味深い特徴をなす。その意味で、本書の執筆方針は古代ギリシア哲学が作りだした西洋性を正面に据えるものとなる。(本書 18~19頁)


さて,その列伝形式の内部に目を向けると,本書の特徴の一つが浮かび上がります.


① 人物の生涯と著作
② 学説
③ 受容

という区分けがなされていることです.特に,史料が限定される古代においては,②学説③受容の区別が曖昧です.
 たとえば,タレスの有名な学説「万物のもとのモノは水である」というのが,タレス本人が語ったものなのか,それともタレスが語った言葉だと後世の人々が受容しているのかという難しい問題があるのです.
 実は,この区分けこそ新史料集LMの特徴と共通します.旧史料集DKでは,このような曖昧さを残したままで編纂されており,学説と受容は明確に区別されていませんでしたが,新史料集LMでは区別します.ここでLMの編集方針(P/D/R)について引用しておきましょう.

Pは,人(Person)としての哲学者に関係するもので,その生涯,性格,発言について,信頼できるものだけではなく,架空[想像上]のものも含めます.
Dは,その学説 (Doctrine) についてのもので,それに含まれているのが,彼の著作 (太字で印刷)による断片なのか,それとも彼の思考の証言なのかということです.
Rは,古代の彼らの学説の受容 (Reception)の歴史についてです.
ここで採用した区分けにより,Pで見られる伝記と,Rで見られる学説の受容とを〔Dから〕分離する効果があります.
(※LM『初期ギリシア哲学者』第Ⅰ巻7頁から引用)

 もちろん学説と受容の区分けには,それぞれの著者(あるいは読者)の判断(主観)が入りますので,絶対的なものではありません.しかし,古代の哲学者の言葉をそのまま羅列するだけではなく,史料批判にもとづき,学説(本人の言葉)と受容(後世への影響)とに分けて議論するというのは,哲学の歴史記述としてあるべき態度でしょう.初期ギリシアの哲学者の実像に迫る試みは始まったばかりであると言えます.
 なお,本書での出典表示は,LMと対応しています.よってLMの内容を吟味する際の手引き書としても利用できるわけです.

【例】注釈(11)が付された記述は,LMのTHAL(タレス)のP3が典拠とい    う意味です.

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 一方で,本書とLMでは,学説と受容について解釈が対立する部分があることも言及しておかなければならないでしょう(たとえばタレスと数学の関係).研究者により解釈が対立しているということも,LMと歩調を合わせた「生涯/学説/受容」という書き方により,鮮明になっています.
 本書を読むことで,哲学者の生涯と学説について,我々はどこまで知ることができるのか? 最新の見解と,第一線の研究者たちの探求の方法までもが理解できるのです.

2. ソクラテスとイソクラテスの位置づけ

 本書をLMの手引き書,さらには誠実な哲学の歴史書として位置づけてきましたが,史料が豊富になる後半からはLMの成果を活用しつつも,著者独自の視点が増えていきます.これまでは,ギリシアの哲学史を,ソクラテスという人物を分水嶺として「以前/以後」というように区切ってきました.

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 しかし本書では,LMの編纂方式を踏まえ,ソクラテスを「ソフィスト思潮」²の中で捉えます.ソクラテスを,ソフィストの対抗者として特別視するのはプラトン以降の哲学者の価値観の影響として排除し,できる限りソクラテスと同時代の人物の視点によってソクラテスを再解釈しようと提案します.

注2)ソフィスト思潮の定義や意味については,
   納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)2015年
   を参照してください.

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 この挑戦により,ソクラテスという偉大な哲学者の価値は相対的に低下するどころか,むしろ彼の思想の偉大さの本質が,より際立つようになっていると感じました.
 このように,古い時代の人物について,その同時代の人物による視点から解釈しようとする試みも,実は古代ギリシアに起源をもちます.プラトンの同時代人でありライヴァルとされる「弁論家」イソクラテスは,次のように語ります.


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 さて、われわれと同時代のものについてはわれわれ自身の意見に基づいて判定して大過ないであろうが、このように古い日の事績については往時の最も賢明な人びとの判断に賛意を表明するのが適当であろう。
※イソクラテス『ヘレネ頌』( 小池澄夫 訳)から引用

 自身の学園で著名な歴史家を養成したイソクラテスらしい含蓄のある言葉です.そして,このイソクラテスを哲学者として解釈する試みは,本書の提案する新機軸の一つです.この試みにより,「学園/学派」を形成する哲学者の登場という解釈が成立します.「イソクラテスをプラトンとの対で現代日本に蘇らせた(本書489頁)」廣川洋一の研究を受容したものと評価できます.

廣川洋一『イソクラテスの修辞学校』 (講談社学術文庫)2005年

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3. 近現代そして日本における受容

 廣川の研究を受容し,イソクラテスをギリシア哲学者として扱うという,著者の独創 originality の部分以外にも,近現代の受容の記述は豊富です.  本書の列伝形式の特徴を「生涯/学説/受容」とし,それはLMの構成を引き継いだものであるとしましたが,「受容」の部分には著者による有益すぎる補足が充満しているのです.古代の思想が,近現代の哲学者(や知識人)にどのように受容されてきたのか,そして古代ギリシア哲学は近代日本の知識人にどのように受容されてきたのか.古代の哲学者を,我々との「関係」によって再検討することを可能にするための資料が提供されています.

4. 「先駆」という表現について

 さて,「受容」の記述が有益であるとしましたが,注意しておかなければならないことがあります.それが「先駆」という説明です.
 歴史研究において,ある出来事が,それに後続する出来事に対して明確に影響を及ぼしたときに限定して「先駆」という表現が許されると私は考えます.
 例えば「ベルの発明した固定電話は,ジョブスのiPhoneの先駆である.」という表現には殆ど何の意味もありません.というのは,固定電話が技術改良されてiPhoneになったわけではないからです.繰り返しになりますが,糸電話を工夫することでiPhoneが出来たわけではないのです.それらに共通する「遠くの人と話す」という機能を抽出してベルをジョブスの先駆者とすることには技術史上の意味は殆どありません.

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 同様に,哲学史における「受容」の記述において,「先駆」という言葉が用いられている部分については,読者は細心の注意で接する必要があるのでしょう.ある哲学者の思想が,年代的に後続する哲学者の思想の先駆であったと評価できるのか? このことを知ることこそが,哲学史を学ぶことの重要な意義の一つなのですから.

5.そして始まる

 本書には,先駆という言葉が用いられている箇所がいくつかありますが,その一つを検討して本稿を終えようと思います.

 なお、この時代には「学校、学派」は存在せず、「ミレトス派、エレア派」という名称も密接な関係を有する個人たちへの便宜的なグループ名に過ぎない。例外といえるのは宗教的な共同体を営んだ「ピュタゴラス派」であるが、プラトンがそれをモデルに学園アカデメイアを設立することで古典期
の先駆けとなった。(本書107頁)

 ピュタゴラス派(教団)がアカデメイアの先駆であるという記述が,具体的には何を意味するのかを考える必要があります.本書(490~495頁)では,アカデメイアの成立事情について議論されていますが,ピュタゴラス教団の影響については,その中の五行のみで物足りなさを感じます.プラトンが,南イタリアを訪問した際に知ったピュタゴラス教団を手本として,アカデメイアを創立したというのは,どういった事態を示すのか.プラトンは,ピュタゴラス教団の思想に共鳴し,それをアテナイで再現しようとしたのか? それとも彼らの「共同生活」という形式だけを受容したのか? こういった先駆や受容の詳細を検討することが,より意義のある「歴史を学ぶ」ということに直結することでしょう.先駆という表現が不適切なのではなく,どういった意味で先駆といえるのか,ということと真剣に向き合うことが必要なのです.

アカデメイアの成立事情について進んで学びたい方には,
廣川洋一『プラトンの学園 アカデメイア』(講談社学術文庫)1999年,(岩波書店,1980年)があります.

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 過去の偉大な哲学家の生涯を知り,彼らの学説を再構成し,さらにその思想の受容を検討する.受容の検討とは,過去の哲学者どうしの関係を知ることであり,現代の我々との関係を知ることを意味します.

 ギリシア哲学全体の俯瞰は人間が向き合ってきた哲学の問題を総覧することにつながり、そこに見出される応答の試みには人間の思考の基本タイプが 一通り示される。さらに、近現代に忘れられた他思考の可能性を再発見することも期待される。したがって、ギリシア哲学史を反省することは人間の知のインべントリーチェック (棚卸し)であり、これから様々な問題を考える上で私たちにかけがえのないヒントを提供し、思考の基盤を与えてくれるはずである。(本書 20頁)

 ギリシア語で「問題」は problēma といい,「前へ投げる」を意味します.過去の天才により,前へ投げられた問題を,我々は過去と向き合うことにより知り,そして彼らの問題の探求の仕方の異質さにより,近現代に忘れられた他思考の可能性を再発見します.そういった歴史の探究により,思考の基盤を得た我々は,新たな問題を,自分たちの前へ投げることが出来るのかもしれません.

それでは,哲学を始めましょう.


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