初めてのカウンセリングセッション

はじめてカウンセリングを受けに行ったのは、真夏の暑い日でした。

一人ではとても怖くていけませんでした。
なので、私にカウンセリングを勧めてくださった友人に付き添ってもらいました。

最寄り駅で集合し、暑い中を歩いて現地に到着。
少しの時間しか歩いていないのに汗ばみました。
そこは周りの喧騒から隔絶されたような場所で、とても静かな佇まい。

カウンセラーさんは、ホームページで見ていた印象どおりのかた。
穏やかで優しそうな雰囲気でホッとしました。

最初は友人といっしょに話をしていました。
少し経って、自分ひとりでも大丈夫かもと思い、途中からは一人で話し始めました。

私の顕在化している問題は、他者のあらゆる言動を攻撃と認識してしまい、こちらも攻撃を仕返してしまうことでした。

カウンセラーさんと友人を交えて、お話しをしていくうちに、その原因が幼少期の体験にあるかもしれない、ということでした。

だから、子供の頃からの生育環境について、話し始めました。

ここで少し私の家庭環境を話します。

私は実の父が小さい頃に家を出ていきました。外に愛人を作って、家の有り金をすべて持って出ていったそうです。

現在の父は低学年のときに家にやってきました。
彼は乱暴な言動をする人でした。
初対面の日から、乱暴な扱いを受けました。
大人しく穏やかだった私とは、彼が家に来たときから折り合いが合いませんでした。

私は彼がずっと嫌いだし、いまも嫌いなので、もう実家とは数十年、連絡をとっていません。

母は情緒が不安定でした。
だから自分の思い通りに子どもが行動や発言をしないと、無視したり、怒鳴ったりする人でした。

カウンセリングを受けているいまとなれば、父親から暴力的な言動をされたり、両親から理不尽なことで怒られたり、家庭内で無視されることは異常だと認識できます。

でもカウンセリングを受け始めるまえは「まあ、それは当たり前なんだろう。世の中の親なんてろくでもない人間しかいないのだろう」くらいに思っていました。

ところが、カウンセラーさんはひとしきり話を聞いたあとに、こういったのです。

大変な子供時代を過ごしてきたのですね。
それなのに、反社会的な行動をしたり、法に触れることをすることもなかったのですね。
人をひどく傷つけたり、引きこもることもなく、よくここまでちゃんと生きてこられましたね。

正直「え?!わたしには当たり前なのですが。。。」というのが私の本音でした。

グレても将来的に良いことが起きるわけでもない。
法に触れたら牢屋に入れられる。
大人になれば親のもとから離れられる。
大人になったら親に関係なく自分で稼いで離れる。
そう思っていたから、なにか特別なことをしている感覚はありませんでした。

でも「よくぞ生きてきた」という言葉は、ハニカミと照れを感じながらも、とても嬉しかったです。

でも、あなたがそうして生きてこられたのは、だれかの助けもあったと思うんですよね」とカウンセラーさん。

それで私も頭を巡らせてみました。
まっさきに思い浮かんだのは、同居していた祖母の存在でした。

祖母は私や兄弟が父母からいわれなき扱いを受けたときに、立ち向かってくれました。
ときに私たちを外に連れ出してくれたり、話を聞いてくれたりしました。

おばあさまが、あなたにとって大事なリソースだったのですね

”リソース”とは、心理的に非常にきつい環境のなかでも、頼りにできて、心の拠り所になる人のこと。
子ども時代においては人間らしく育っていくための、まさに心の資源となる存在なのだそうです。

この言葉を聞いた瞬間に、涙が止まらなくなりました。

ばあちゃんとのいろんな思い出が蘇えり、頭の中を駆け巡って。

いつも笑って、わけのわからないことをいっても聞いてくれたこと。
運動が苦手で走るのが嫌だけど、マラソン大会に向けて公園で走る練習を見守ってくれたこと。
友達と遊びにいくのにお金がなくてこっそりとお小遣いをくれたこと、などなど。

ばあちゃんがいたから、道をそれることもなく、生きてこられた、と。
そしてばあちゃんになにも恩返しすることなく、彼女が旅立ってしまったこと。
ごめんねとありがとうという感情が同時にやってきて、心を埋め尽くしました。

カウンセリングを終え、次回のスケジュールを決めて、付き添ってくれた友人と一緒に外へ。
歩きながら、不意に体がふらつき、ふわふわとしている感じに包まれました。

後日、カウンセラーさんに伝えたところ、カウンセリング時の深く自分と向き合った状態から、もとの世界に戻りきっていないそう。
そして謝罪を受けました。

私としてはふわふわと心地よかったので謝らなくても、と思いました。
いっぽうでプロフェッショナルとして、そこはしっかりなさっているんだなあ、と信頼が芽生えました。


初めてのカウンセリングセッションはこうした時間でした。

怖いと思っていたけど、まったく怖いことはありませんでした。
変な薬を渡されることもありませんでした。

ただただ、私の話を聞いてもらい、質問に答えていく、そんな時間でした。

そして私が人の道を大きく外れることなく生きてこられたのは、ばあちゃんというリソースがいたからだと気づけました。

1回目のセッションはこうした結果でした。
そして2回目以降、こうした対話を通じて、少しずつ少しずつ、私のトラウマが明らかになっていき、一つずつ一つずつ、生きつ戻りつを積み重ねて、現在にいたります。

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