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【創作】愛と、ユーモアと、・・・

人生に必要なものはなにか?

希代の喜劇王は答えた。
愛と、ユーモアと、サムマネー。

「勇気と想像力とサムマネーじゃなかったか?」
呆れ顔で言って、高田さんはテーブルに肘をついた。眉が下がって、細めた目が微笑っている。小さな妹を見るように。
「そうでしたっけ」
ズゴ、と音を立ててストローを吸う。
「どっちでもいいでしょ」
「よかねぇだろ。偉人の名言を勝手に変えるな」
「いいんです。大事なのはサムマネーのほうなんだから!」
そう、サムマネー。ビッグマネーでもモアマネーでもない。サムマネー。幸せな人生にはそれがあればいいのだ。誰にでもチャンスはあるはず。それなのに。
黙り込む私を見ながら、高田さんはゆっくりとストローに口をつける。小さな妹を見守る、兄の顔だ。
ほんとむかつく。
「・・・落ちた?」
私からは言い出さないと踏んで、高田さんが言う。優しい声。労りと痛みを含んだ、優しい先輩の声。
「・・・最終面接で」
悔しさに声が上擦るのを隠すために、ストローを吸う。ズゴ、と氷が無様な音を立てる。もうとっくに飲み切っている。
「むかつくから、石投げてやろうと思って」
「危険思想やめろや」
「あんな会社、爆発すればいいのに」
「一般人巻き込むのもやめろ」
苦笑いで軽口に付き合ってくれる。そうしないと泣いてしまうことを知っているのだ。
「・・・先輩、社会人なんですよね」
なんとなく、そんなことを思う。土曜日の午後、ファーストフード店のテーブル越し。キャンパスで会っていたのと変わらない姿を見ながら、高田さんが遠く感じる。
「そうだよ」
優しい声が答える。なんの気負いも遠慮もない、静かな声。ざわついていた心がしんと静まって、かわりにひんやりとした悲しさが満ちてくる。
「最近、電車乗ってても思うんです。満員電車のおじさんとか、ほんとイヤだったのに・・・この人たちは選ばれたんだなぁ、って」
高田さんは黙って聞いている。心に満ちた悲しみが、静かに温まっていく。温まった悲しみは、喉を伝って、瞼にたまる。
「選ばれて、働いて、もしかしたら子供とかもいて。ちゃんと育てて、もしかしたら私みたいに大学に行かせてるかも。たくさんの理不尽に耐えて、毎日ちゃんと働いて・・・社会人やるって、すごいことなんだなぁ、って」
温かい悲しみが瞼から溢れる。心は静まっているのに。むかついても、怒ってもいないのに。
「なんで、私は選ばれないのかなぁ・・・」
高田さんは答えない。薄く微笑んでいるように見える口元が、下がったままの眉が、頬杖をついた長い指が。なにもかも、去年までと変わらない。なのにいつの間にか時間は経って、私たちはモラトリアムを卒業しなければならない。人生を歩んでいくために必要なものを、自分で獲得しなければならない。
なのに、そのための居場所がない。
「私、夢なんかないんです」
「随分強気で言うなぁ」
ふふ、と高田さんが微笑う。一口、ストローを吸う。
「だってサムマネーでいいんだもん。夢なんかいらない。やれと言われれば、それが仕事なら、生きていくために必要ならなんだってやるし、たいていのことはできるはずです。なのになんで、夢なんて訊くの?ただの新入社員がどんな夢持ってようが、持ってなかろうが、事務作業に関係あります?夢持ってたら、それが大きかったら、計算早くなります?」
「夢があれば仕事へのやりがいが増して、結果として業務習得が早くなることはあるかも?」
からかうような、優しい口調。好きなだけ、何でも言っていいよ、と言っているのがわかる。
「それが仕事に必要なら、言われたとおりに習得してみせます。それをやるだけの努力はできます。努力ができる証明はできるのに、なんでそれだけじゃダメなの?成し遂げられるかわからない夢なんて、なんで必要なの?私の学力や、それを実現させてきた行動のほうが、ずっと大事じゃないですか?」
「そうかもね」
「でもダメだって言うんです。絶対訊くんだもん、夢」
「絶対訊かれるなら、いちおう用意しとけば?トレースなんてされないんだし」
「だってイヤなんだもん、そんなこと訊かれるの。訊かれると、ああ、ここにも私の居場所はないんだ、って思っちゃって、うまく話せない」
「真面目か」
はは、と笑ってから、高田さんが私を見た。しっかりと目を合わせて、またふっと微笑う。きれいな手が、私の頭を撫でる。妹にするように。兄の仕草で。
「探せばいいよ、訊かない会社。絶対あるって」
「うそ。なかったもん」
「あるよ。おまえを欲しがる会社、今のおまえと合う会社。捨てる神あれば、って言うだろ」
私は答えない。高田さんもそれ以上言わない。手を離し、また頬杖をつく。ふたりとも何も言わずに、時間だけが流れる。
こんな時間だったな、と思う。私が好きだった時間。この人や、他の先輩、友人。私がこの大学の多くを過ごし、心から幸せだと感じていたのは、きっとこんな時間だった。
そんなことを、しばらく忘れていたような気がする。

幸せな人生に必要なものはなにか?
私ならこう答える。
「愛と、ユーモアと、サムマネー」
「だから違うって」
「いいでしょ」
「いいわけないだろ」
高田さんが笑う。そのかおが優しくて、私も笑ってしまう。
喉が渇いたな、と思った。
「おかわりしてきます」
「おう」
まだ時間はあるから。そう言われている気がするし、そんな気がする。

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