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「男なら子育てしてねえで働けよ」会社の忘年会でこう言われた僕が思う事

会社の忘年会で、55歳の男性社員からこんなことを言われた。
「男なら子育てしてねーで働けよ。」

さすがにその瞬間はイラッとしたけれど、少し考えてみて、こう思った。
「視点の高さが違うから仕方ない。」

ここで言う“高さ”は、あくまで“視点”のことだ。
決して、人間としての高い低いとか、価値の優劣をつけるつもりはない。

確かにこの人にとって「男は稼ぐもの」というのが“普通”なのかもしれない。
でも、僕にとっては違う。“普通”って人それぞれだと思う。

だって、僕は結婚して子どもがいる。普段の生活は、子どもを育てることを中心に回っている。
一方で、この男性は独身で子どももいない。その背景が違えば、価値観も異なるのは当然だ。

わかりやすく例えるなら、僕がやっているのはバスケで、この人がやっているのはサッカーみたいなものだ。
この人の視点から見ると、僕が「なんで手を使ってるんだ?」と感じるのも無理はない。
でも僕にしてみれば、「いや、こっちはバスケなんで」としか言えない。

一方で僕の視点は、俯瞰的だ。バスケもあればサッカーもある。
仕事に全力投球の人もいれば、子育てを優先する人もいる。
そしてその両方をなんとか頑張っている僕のような人もいる。

みんなそれぞれのペースで、自分の“競技”をしているんだってことが、僕には見える。
でも、残念ながら彼にはそれが見えていないんだと思う。

きっと彼は、自分の視点からしか物事を見ていない。
目線が低い位置にあると、どうしても他人の行動が気になるものだ。
「なんであいつ、手を使ってるんだ!」といった具合に。

でも僕は、違う高さの視点を持っているからこそ、思う。
大事なのは、自分と違う立場の人を尊重することだと。

仕事だけに全力の人を責めるつもりはないし、それがその人の人生だと思う。
ただ、僕は僕で、仕事もしながら子育てにも全力を注ぐ生き方をしている。

だから、「男ならこうあるべき」という言葉には全く共感できないし、
そもそも「男だから」「女だから」という枠組みで人を判断する時代じゃないと思う。

冒頭の発言をした彼のことを否定する気持ちはもうない。
サッカーをしている彼の視点から見たら、バスケをしている僕が変に見えるのも仕方ない。

けれども僕は、俯瞰的な視点を持ち続けたい。
いろんな競技をしている人がいる。いろんな生き方がある。
それを知ることで、自分自身の人生も豊かになると思うから。

そして、こういう考え方が当たり前になる飲み会が、いつか来るといいな。
それが難しいのなら、僕はもう次回から飲み会に参加しないかもしれないけれど。

多様性を認め合える世界は、視点の高さから生まれるもの。
そう信じて、これからも僕は僕の“競技”を続けていこうと思う。

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