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人間から会話を奪ったら何が残るのだろう

大型ショッピングモール内のお気に入りのパスタレストランが閉店してしまった。代わりに同じ企業が運営する”下位”のパスタレストランに模様替えされており、パスタのクオリティはそれほど変わらないものの、スイーツのクオリティは格段に落ちていた。母共々、以前の店舗のスイーツが気に入っていただけに、とても残念だった。

残念に思った理由はそれだけではない。

以前の店舗は、ラグジュアリーとまではいかなくても、大人がゆったり静かに楽しめる空間だった。
ところが、閉店する数か月前からドリンクバーが設置され、急にチープになってしまった。もしかするとやっていけないのかなという予感はしていた。

そして、新店舗ではタブレット注文が導入されていた。
操作は簡単ではあるが、機械に向かって注文し、機械が調理をして、機械が運んでくるような、近未来的でもなんでもなく、安っぽくて、我々客自身がベルトコンベアに乗せられて、口の中に無理やりパスタを詰め込まれ、そのまま会計に連れて行かれて最後は放り出される、工場のような感覚を受けた。

昨今の価格高騰やら、働き方改革やらで、それが企業努力であることは理解できるし、低価格の飲食店で丁寧な接客を求める方が間違っているのだろう。
中には従業員とコミュニケーションを取らなくて済むという客もいるのかもしれない。
世の中の流れである以上、私たちが慣れなければならない。

食べ終わってから100円均一ショップに行った。そこもいつの間にかセルフレジに変わっていた。
世の中にはセルフレジが使えない人がいる。高齢者や障害者だ。そういう人達は付き添いの人か従業員に頼めば良いし、それが効率的なのだろう。
飲食店のタブレット注文にしても、母のような高齢者は操作が難しい人もいる。
ただ私はそこに「置き去り感」を感じる。

コロナ禍で人と人との間が物理的に離れた私たちは、タブレット注文やセルフレジの導入で、人と会話も遠ざけて、精神的にも離れてしまっているように思う。
人間から会話を奪ったら、何が残るのだろう。


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