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過去→未来<-過去

母は準備の良い人だ。レジに並んでいるときに、手前から財布を出して待っている人と、精算が済んでから財布を出す人がいるが、母は間違いなく前者だ。完璧に準備できていることが彼女にとっての快適性だが、近年、徐々に忘れ物が多くなり、本人はそれで苛立つようで、時に苛立ちは私にぶつけられる。

さて、私はといえば、遺伝子なのか、やはり事前準備に抜かりない。特に外出日の前は、ルートの確認、車椅子用トイレの有無・場所、飲食店、時間配分などのあらましを調べ、頭に入れておく。限りある時間を効率的にするためだ。
ただし、現地についてみると、思いの外バリアフリールートが長かったり、工事中だったり、エレベーター待ちが長かったりする。ルートがフロアマップに書かれておらず、現地に行かなければ何もわからない場合もある。
それで、完璧に準備をするのではなく、適当にしておくことを覚えた。

この記事は投稿の2日前に準備している。
都内への外出は市内に比べ疲れるし、思わぬハプニングやアクシデントで帰宅が遅くなることもある。その日のうちに記事が書けない可能性を考えてのことだ。

予定であれば、昨日は美術館に行っている。たった今”昨日”と書き、記事は未来のためだが、未来では過去を振り返っている。
”準備する”とは、明らかにベクトルが未来に向かってする行為なのに、未来のその時点のベクトルは過去に向かっている。


楽しかったと書いて実際に楽しくなかったら偽りになり、行くのが大変だったと書いて非常にスムーズだったらそれもまた偽りであるが、その真偽は未来になってみないとわからない。
そんなふうに、過去の時点から未来を予測して過去を想像していると、タイムマシンで未来と過去を行ったり来たりしているうちに、今がどの時点なのかわからなくなってしまった人のようになる。

成り行きで、その日暮らしで、未来なんてものを知らず、準備も予測もない世界。
私には難しいが、そんな世界にちょっと憧れてもいる。


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