500円、高いか安いか
不作のためオレンジの価格が上昇したり、一部商品の生産が止まっているという。オレンジは我が家でもよく消費するが、スーパーでは通常価格で買えるし、オレンジジュースも普段と変わりなく販売されているのを見かける。ファストフード店では1杯あたりの値段が上がっているのかもしれないが、あまり利用しないせいか、オレンジ価格高騰の影響は私自身感じられていない。
オレンジが特別に大好物というわけではないが、昨年あるいはその少し前くらいからある商品がずっと気になっている。モールの片隅にある生搾り自販機「Feed ME Orange」、1杯500円ほどのものである。
この”500円”という価格、安いと思うか、高いと思うか。
スーパーでオレンジジュースを購入する場合、搾りたてではないにしても100円前後から購入できる。単にオレンジジュースが飲みたいということであれば500円のジュースは高いと感じる。
飲食店でオレンジジュースを注文すれば400円前後だろうか。人が介在するから400~500円程度でおも妥当と思うが、自販機で500円は高いように思う。
一方、オレンジ丸ごと3~4個をその場で搾ってくれるサービスと考えると、製造過程が覗き込める面白さも含めて500円は妥当だ。
少し視点を変えてみたい。
「近所のスーパーにおかれた500円の自販機」と考えると、私には高く感じられる。
ところが、「銀座の商業施設におかれた500円の自販機」や「渋谷の人気スポットにおかれた500円の自販機」だったら、物珍しさも手伝って購入する確率が上がる。
もしも私が東京在住であれば、よく見かけるようなものにお金を払わないかもしれないが、私のようにある程度の決意をしなければ状況できない環境に住んでいる人が、銀座や渋谷でこの自販機を見かけた場合は購入する確率があがる。
またスーパーにおかれて高いと感じるものでも、百貨店におかれているとそれほど高いとは感じないだろう。
モールにおかれている500円の自販機、私があまりモールに行かないのであれば、「せっかく来たのだから」と口実を作って購入してしまうかもしれない。しかし、路面店よりもモールに行く頻度が高い私は、このジュースが高く感じられて未だに手が出せていない。
価格というのは、もちろん企業が原価計算をし、付加価値をつけるなどして定めるものであるし、ハイブランドではブランド性を維持するための価格設定がなされている可能性がある。
しかし、その価格は原価や利益といった経営上の話以上に、私たちは価格とうものを相対的見ている。
たとえば某ハイブランドのバッグが正規店で正規価格3980円で売られていたら私なら買わないし、正規品であっても近所のモールで売られていたとしたらやはり買わない。正規店において、かなりのお金を握りしめて、憧れと尊敬と勇気を持って買う高価なバッグにこそ、ハイブランドたる価値を感じる。
500円の自販機のジュースも、近所の食品スーパーが付随したモールなら高いと思うし、渋谷の映画館や劇場が付随したモールなら安いと感じる。
消費者は「この場所・シチュエーションではこの価格であるべき」という幻想を、実際に今目にしている商品にあてはめて購入の可否を検討しているのだ。
つまり私にとって500円の自販機の商品が高いと感じられるのは、それが適正価格であるか否かではなく、「この場所においてはこれくらいの価格であるべき」という判断をしているというわけだ。
それで私はいつまで経っても500円の生搾りオレンジジュースが飲めないでいる。
百貨店で4万円の衝動買いをするくせにだ。
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