静かな夏
週末は地域の夏祭りが行われたようだった。”だった”と書いたのは、人づての話だからだ。花火の音が聞こえたが、それが夏祭りで上げられたものだったかはわからない。
それにしても、盆踊りの音が全く聞こえない。私が子供の頃はどこからかしらお囃子が聞こえたものだった。近くを通る子供たちの話声や足音なども聞こえたはずだ。
静かなのはお祭りだけではない。
今年は蝉の音が異様に少ない。ニイニイゼミとアブラゼミは、ほぼ例年と同じ時期に鳴き泣き始めたが、我が家の周辺では夏の初めから夏の終わりまでずっと鳴くはずのヒグラシがひとつも聞こえてこない。ミンミンゼミの鳴き声は弱く、五月雨のように降り注ぐ、あの暑苦しい音を聞くことはなかった。ツクツクボウシもまた、ほんの少し聞こえただけだ。
ツクツクボウシがこれが鳴くと「ああ、もう今年も短い夏が終わってしまう」と、宿題が終わらずに焦っている小学生のような気持ちになる。今年はそれもない。
子供の頃には聞こえてきた近所からの高校野球や、ナイトゲームの音なども聞こえなくなった。
秋の虫も同様に、とても少ない気がする。もっとも、草木が多い場所からは、耳をつんざくほどの虫の声が聞こえてくるが、我が家周辺では除草剤を使う家庭が増え、そのせいもあって虫が少なくなってきているのだと思う。虫が苦手な私にとっては、虫を見かけることが少ないのはありがたいが、自然界のバランスを考えると、やはり危機感を抱くようなことである。
虫はともかく、人が発する音に対する寛容性が失われているように思う。
外で遊ぶ子供の声もあまり聞こえてこないし、花火や大晦日の除夜の鐘もうるさいという意見が出ているという。
音に対する不寛容性はいつ頃から、そしてどうして起きてきたのだろう。
社会現象の研究者ではないので、詳しい理由はよくわからないが、とどのつまり、人から大事にされていないと感じているが故に、人は自分の身を守ろうと自分を優先しているからなのだろうかと想像する。もし自分が大事にされているという感覚があれば、優しさは他人へも向かうはずだ。
どうやら日本は多様性とは真逆の方向に進んでいる。
これからの子供たちは、季節の音や、生きているが故に人が発する音を知らずに育つのだろうか。
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