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「恥ずかしい」は自分へのDVだった

思考を感情だと勘違いして、自分DVをする人は多い。

わたしの場合は、
「恥ずかしい」
というのを感情だと思っていた。

けれど、今は思考なのだと思っている。
わたしの場合だけなのだろうか。

以前は、何もかもが恥ずかしかった。
朝が苦手なこと
ごはんを食べるときに口を開けること
歩くのが遅いこと
転職したこと
褒められること
友達が少ないこと
人に話せないことを抱えていること
電車とかバスとか人混みに酔ってしまうこと
父にも母にも愛されていないこと
忘れ物が多いこと
会社で浮いていること
ただ生きているだけでなんだか疲れてしまうこと
こういうことを知られること
恥ずかしいと感じてしまう自意識過剰な自分

朝から晩までいつも自分のどこかが恥ずかしくて
ずっと落ち着かない気持ちを抱えていた。

でも、この種の「恥ずかしい」は、人と比べるから起こる。
うまくできないから自分が「恥ずかしい」のだ。
感情ではなく、思考なのだ。

感情と思考は切り離して考えたほうがいい。
感情や欲はただ浮かぶもの。
例えそれが人に言えない種別のものであっても、それ自体は悪くない。

性欲を感じることに罪悪感を感じるひともいる。
でも、性欲が悪なのではなくて、なぜ性欲に罪悪感を感じることになったのか、その思考にフォーカスすることが大切。

そうすれば自分の中にあるブロックを外すこともできるし、
なぜ自分で自分を責めてしまうのかもわかるかもしれない。

そうやって、自分の中のひとつひとつを取り出して、眺めて、向き合う。
わたしはそうやって自分を回復させてきた。


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