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『自分とか、ないから。』を読んだら、会社も上司も世の中も、全部フィクションでした。

書店でずっと気になっていた、しんめいPさんの、『自分とか、ないから。』を読んでみました。
本の学びになったポイントと、自分なりに感じたことをまとめてみようと思います。

この世界はすべて「空」である。

本の中に出てくる内容で1番衝撃をうけたのが、龍樹のこの言葉です。

この世のすべては、ただ心のみであって、
あたかも幻のすがたのように存在している。

つまり、全ては幻で、フィクションであるというのです。

全てというのは、本当に世の中の全て。
例えば、会社や家族、なんなら国さえも。

どういうこっちゃねんって感じですが、
そこにはことばの魔法が関係しているとのこと。

例えば、会社は、どんな変な名前の会社でも、書類を出して登記すれば、「ある」ことになるし、家族も、婚姻届が受理されれば、今まで家族ではなかったパートナーが、家族に「なる」し、国だって、他国から認められさえすれば、〇○国という国が「ある」ことになる。

これはもっと早く知りたかった。

世の中の全ては、人類の人たちが作ったルールの上で成り立つものであって、在る、無いを、勝手にそう決めているだけ。
そして、その、在る・無いも、その仮の「在る」があるから、「無い」が生まれる。

私は今、趣味で絵を描いて販売しているけれど、はたから見たら、絵を描いている「無職」なんですよ、、笑

でも、「無職」ですら、仕事という名前をつけた業務を、「会社」という名前の団体に所属しながらこなす「社員」という設定が、「ある」から、「無職」という概念が生まれるという。

働いていた当時は、会社や上司という存在に縛られ、退職してすぐは、自分は「無職」なんだというレッテルに縛られていたけれど、そもそもそんなものは全てフィクションなんだな、と。

ちょっとだけ、高次の存在の思考になりきって考えてみると、おままごとで決めたルールや役割を本気にしないのと同じように、この世のフィクションを気にしすぎずに生きられるかもしれない。

フィクションだから、囚われずに生きる


ここまでは本を参考に書いていたけれど、ここからは自論。
著者がこの本の中で伝えたいことからはかなりズレてしまうけれど、派生して考えたことを書こうと思う。

世の中うまくやっている人って、一つのコミュニティや会社に縛られない人が多い。

自分が身を置くコミュニティや会社の他にも、何千も何万も、数え切れないほどのコミュニティや会社があることを、本能的に分かっている。

世の中がフィクションなのに、その中にある会社やコミュニティの中にある「役割」や「ルール」なんてものは、もっともーっと、どうでもいいフィクションだ。
(というのは働いている当時は気づけなかったけど)

今人間関係や仕事で悩んでいる人がいるのなら、世の中は思ったより

「誰かが作った手作りのルール」の中で進んでいるんだ、フィクションのおままごとだ!

と思えれば、ちょっとは楽になるのかも。

別の人と別の場所で、自分が楽しいと思えるおままごとをするのもいいし、おままごとをしないという選択もできる。

なんてことをちょっと考えてみた。

最後に

本の中では、他にももっと色んな、生き方が楽になる考え方が散りばめられていて、考えさせられる一冊でした。

なかなかすぐに、今回のテーマの「自分なんてない」という境地には辿り着けなかったけど、自分の心が辛くなった時とか、やらかした時とか、落ち込んだ時なんかは、「自分自分!!!」なんて追い込んだ考え方にならずに、のんびりと、まあいっかーくらいでブッダの目線で考えられるようになりたいですね。



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