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仲が良かったら排除しないよ。

仲良くなかったら排除はするでしょうね。


人間関係について記事を書き続けて思ったけれど、仲良かったら排除はしないよなって思った。人間同士だし、何か言いにくい事もあるかもしれないけれど、軽めに話を通したりとかするよねって。

排除しようとする人達を一切気にする必要はないのではないでしょうか。

発言権がない場所

これって誰でも条件さえ合ってしまえばそうなるのだと思う。圧倒的強者だったらその場所は物理的にもなくならないけれど、立場が弱い人だったら発言さえ許されないのだと思っている。発言は出来る空気かもしれないけれど、聞き入れる事はないようなもの。それがどれだけ正しかったとしても聞く耳を持たれないのが事実だ。

というより代案を用意したりするだろう。それですら用意しない関係性と判断してもいいと思っている。

発言権がないという事は、その人はそこにいない事になる。

勿論、人間同士だから初めからオープンにしてすぐ仲良くなれるというのは難しい。だけど、受け入れる受け入れないというのは相手の気持ち次第であり、支配的であるという事。RPGのようにYES以外興味を示さないようなものであるという事。消耗品のような関係性になるのだと思う。

仲良くする気があるのか、ないのか。

そもそも、期待も信頼もしていない。という事になるのではないでしょうか。人を変えようとするという事はいい方向に変わって欲しいという意味合いでもあります。但し、一種の個性の否定でもある訳です。それって仲良くする気はないってことなんじゃないのかなって捉えることもできるよねって。

というより、余程仲が良くて「○○のちょっと苦手だよね」と変えて欲しいなぁというニュアンスじゃないと他人は変えられないのである。

仲良くない時点で他人を変えようとするのはただの支配という事。
卑怯ではあるという事だ。その人の前で変えたように振舞うだけである。
「それで満足してくれるかな?という話になる」
子供騙しのような振る舞いで満足するような関係性である。浅はかなり。

ありのままを受け入れてくれなかったらどうなるんですか。

支配関係を退ける為に「No」と言ったらどうなるのだろうか。
相手は絶望したような顔になるのだろうか、飼い犬に手を嚙まれるように感情的に反撃するだろうか。それとも、思ったより話を聞いてくれるかもしれないし、ちゃんと理由を聞き入れて、代案を用意してくれるかもしれない。

ありのままの自分を維持したまま関係性を続けるのか、ありのままの自分を否定して排除するのか、ありのままの自分の代案を用意してくれるのか。
まぁ、どうでもいい関係ならすぐにでも排除できるという態度は示すでしょう。

今年で人間関係を断捨離するというのもまた一つの手。

結局な所、代わりはどこでも存在する。軽々しく排除できるという事は少なくとも別の人がいるという事でもある。その人は強者であり、選ぶほどでもないという事を態度から示している。

2024年はもう少しで終わる訳です、綺麗で新鮮な気持ちで2025年を迎えませんか?

長文ありがとうございました。

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