見出し画像

怒りは外側からやってくるのではなく内側からわきでるもの

残り8

以前は否定的なコメントやアンチコメントまではいかないにしても意図を持ってこちらを不愉快にさせるようなコメントに対して、瞬間湯沸かし器並みに反応していた。

見た瞬間にカッと怒りがこみあげてきて、次の瞬間もう怒りが沸騰しているのだ。
あたまに血がのぼってイライラモヤモヤカッカしてくる。ひどい時には怒りで体がワナワナと震えてくることもあった。「相手をどうやって言い負かせてやろうか」と怒りの炎をたぎらせながら頭を捻ったものだった。そうやって何度かバトルを繰り広げた末にブロックするかブロックされるかになる。

その怒りはもう反射のような素早さでわたしの体全体を飲み込んでしまって、他の反応をする余地などなかった。そこにあるのは「怒り」一択だった。


そんなときわたしはいつもこう思っていた。

「なんで分かってくれないの?」
「こんなに分かりやすく書いているのに理解できないなんてバカなの!?」

わたしは文章を何度も推敲して分かりやすく届けている自負があった。
それなのに分かってくれない人たちに怒りが収まらなかた。



そんな「怒り」が今は驚くほどない。
どんなコメントを見ても「怒り」が湧かないし、そもそも嫌なコメント自体が入ってこなくなった。

少しピントがズレたコメントに対しても、以前のわたしなら「なんで理解できないの!!?」とイライラしていたけれど、いまは「ふーん」て感じ。

関わりたくない感じの人ならブロックして、害がなさそうなら放置できるようになった。


わたしの「怒り」はいったいどこに消えたのだろう?
そもそもわたしの「怒り」はどこから湧きでていたのだろう?



こんなふうに他人の言動によって外側からもたらされたと思っていた「怒り」は実はわたしの中にもともとあったものだった。

わたしは幼少期から感情を素直に表現することを禁じられていた。
素直に感情を表せば、それがポジティブな感情であろうとネガティブな感情であろうと親に「わがままだ」と叱られた。

幼いわたしは感情を表現することをやめて、体の内側に瞬間冷凍して閉じ込めておくことにした。そうやって長年溜めてきた感情はなくなるどころか歳を重ねるごとに大きく膨らんで、もうこれ以上溜め込んで置けないというくらいにまでパンパンに膨れあがっていった。


もう限界だったんだよね。
見ないふりして溜め込んできた大量の感情たちは、ちょっとしたキッカケで溢れるようになっていた。

それは夫の死をキッカケに堰を切ったように溢れだした。

ここから先は

1,092字
この記事のみ 残り8/10 ¥ 200

うれしいです!!!!