「生命倫理のレッスン」
今読んでいるのは、「生命倫理のレッスン」。
図書館のYA(ヤングアダルト)コーナーで見つけた本だ。
上記リンクの本の紹介文は以下の通り。
「美容整形、ドーピング、スマートドラッグなど、人体を改良するための技術利用は「私の自由」といえるのか?医療技術の急速な進展は、私たちの生き方や選択をどう変えるのか?次々と繰り出される科学技術との向き合い方を考える“生命倫理”の対話の世界へようこそ!」
この本で取り上げられているのは、「エンハンスメント」。
生命倫理でいうエンハンスメントは「治療を超えた医療的介入」のことだそう。
この本では、健康な人が「あたま」や「からだ」を人為的に自分の意思で作り変えてしまうことは
どこまで許されるのか、ということを中高生の登場人物に議論させ、要所で筆者が問題提起や解説をしていく流れが採用されている。
自由主義社会の倫理で言えば、
「誰にも迷惑かけていないんだから、自分の好きにさせて」ということになるけれど、
健康な身体に手を入れることは許されるか?ということがどの章でも問われる。
個人的には美容整形の章が一番印象に残った。
「うまくいかないことを自分の容姿にしてしまって、自分の本当の問題に向き合おうとしない」
「自分の問題が心の中にあるなら、美容整形を受けて外見を変えても、問題は解決しない」
「ありのままの自分を愛し、受け入れることをなぜしないのか」
という文がグサグサ刺さった。
「ブス」と言われていじめられていた自分にとって、肌の綺麗さとか、顔の造作の美しさを追い求めていたからだ。
周りの可愛らしい子たちを自分を比べて、自分の顔や肌は醜いとずっと思っていた。
朝起きたら別の綺麗な造作の顔になりたい、と思いながら床に着いたことも多かった。
中学、高校、大学生になる中で、綺麗な子たちがどんどん彼氏を作っていく中で、選ばれない自分はダメな奴だ、という気持ちはずっと消えなかった。
40歳近くなった今は、大幅に顔を変えるような整形はしなくてもいいやと思う。そのお金は別に使いたい。
でも、ホクロが増えてしまったので、可能であればいくつか除去したいなとも思っている。
そう考えると、整形に対する憧れは完全に消えてはいないのだな、と思う。
最後のプライベートレッスンでは、筆者が摂食障害に悩んだ時期のことが綴られる。
タイムマシンに乗って過去の自分に出会えたら、まずは思いっきり抱きしめてあげたいと書かれていた。
そして、思春期の読者に向けてこんなメッセージが示される。
このメッセージは大人の自分にもとても響いた。
「他社の声」によって生きることをやめたい、「自由」になりたいと思うなら、
まずは時間をとって、根気強く「自分の声」に耳を傾けてあげてください。
(中略)
「あなたはどうしたいの?どんな人といると嬉しい?どんな時が幸せ?」
ちなみに、本文中に登場した、旧東ドイツの国歌ぐるみのドーピングの話を読んだときに
「ブラック・ジャック」でこんな話なかったけ?と思い、検索したら、こちらがヒットした。
1996年の映画だけど、30年弱経った今も同じ議論がなされているのね・・・。