天才的なオチ。夏目漱石の「坊っちゃん」を紹介する。
どうも宇宙ゴリラです。私はここ半年ほど、青空文庫で文豪が書いた作品を中心に読書をしています。文豪が描いた作品というと、芸術的で少し難しい話を連想する人もたくさんいらっしゃると思います。しかし、今日紹介するのは、文豪の作品の中でも、エンターテイメント色強め。その作品とは夏目漱石の「坊ちゃん」です。
坊ちゃんは、1906年に書かれた作品で、今から100年以上前の作品になります。江戸っ子気質で曲がったことが大嫌いな主人公が、田舎の学校に教師として赴任する物語で、今読んでもあまり古さを感じさせません。夏目漱石の作品の中でも大衆的で、最も読まれたと言われている作品です。
簡単なあらすじ
①坊ちゃんは子供のころから、無鉄砲で気性が荒く、親や兄弟とは仲が良くありませんでした。彼の唯一の味方は、下女の清というおばあさんだけです。両親が死に、坊ちゃんは田舎の中学校で教師として働くことになり、清とは離れ離れになってしまいます。
②正義感の強い坊ちゃんは、田舎の学校でうまく馴染むことができず、教頭である「赤シャツ」と対立関係になります。一方で、同じ数学の教師である「山嵐」とは交流を深めて意気投合していきます。
③やがて坊っちゃんと山嵐は赤シャツの不祥事を暴くために動き出しますが、赤シャツの陰謀によって山嵐は辞職に追い込まれます。その後、坊ちゃんと山嵐はなんとか赤シャツを追い詰めますが、彼はしらを切り続けます。業を煮やした二人は、赤シャツを天誅と称してボコボコにした後、すぐに学校を去ります。
④田舎の中学から東京に帰った坊ちゃんは、清を再び下女として雇い、彼女が肺炎で亡くなるまで一緒に暮らしました。
宇宙ゴリラ的「坊ちゃん」の魅力
◇「坊っちゃんの純粋さ」
坊ちゃんは無鉄砲で喧嘩っ早い性格ですが、決して悪人ではありません。むしろ、曲がったことが大嫌いで正義感の強い人間です。この性格は幼少期から大人になるまで変わることはなく、坊ちゃんは相手が誰であれ間違っていると思ったら、指摘せずにはいられません。中学校に赴任した際にも、間違っていると感じると、校長、教頭、生徒、誰にでも突っかかっていきます。普通なら歳をとるごとに、こういう「純粋さ」は失われて長い物には巻かれるものですが、坊ちゃんは全く物怖じしません。この「純粋さ」が見ていて痛快であり、面白い点だと思います。
◇「オチの秀逸さ」
「坊っちゃん」という作品の凄い部分は、主人公が最後にきちんと負ける点です。上述したとおり、主人公は長いものに巻かれるタイプではありません。現実社会において、全く権力に屈しない人というのは、とても珍しい存在です。僕が作者であれば、小説の中だけでも、権力に屈しない人間を優遇してハッピーエンドにしたくなりますが、そこはさすが夏目漱石。暴力という手段に頼ってしまった主人公たちを、無事では済ませません。主人公たちは教師という職を失い、故郷に帰ることになります。
このオチは凄く現実的で、考えさせられる終わり方です。悪さをしていた赤シャツ達は結局、殴られはしましたが仕事をクビになりません。一方で、主人公たちは職を失い、故郷に帰る羽目になる。単純な勝ち負けの話ではありませんが、どちらが勝者で、どちらが敗者かといわれると…主人公サイドに思えます、仕事も失いましたし。でも、読んでいて僕は不思議と悔しい気分にはなりませんでした。どこかで納得が出来たのです。いくら、悪いことをしていたからといって、暴力を振るうことは正義ではありません。それは、曲がったことが嫌いな坊っちゃんが、誰よりも分かっていたはずのことなのです。
もし、主人公たちが暴力を振るった上に、仕事も辞めずにハッピーエンドであれば「坊っちゃん」という作品がこれほど評価されることも無かったでしょう。全てが坊っちゃんの思うとおりになってしまえば、現実味はなくただ主人公が無双するだけの話になってしまいます。主人公が教師という職を失ったからこそ、現実味が生まれ、「誰が正しかったのか?」など考えることが出来るようになります。この絶妙なバランスで成り立っているオチこそが「坊っちゃん」最大の魅力かもしれません。あなたは「坊っちゃん」のどんな部分を面白いと思いましたか?
最後まで読んでいただいてありがとうございました。