リドルストーリーって良いな…と米澤穂信さんの「ボトルネック」を読んで思った。
僕は最近まで、リドルストーリーがあまり好きではなかった。
理由は単純に、結末が明確ではない物語が気持ち悪いから。
でも、最近「ボトルネック」という小説を読んで、考えが少し変わった。
結末を明確にしないことで、表現できるものがあるのかもしれないと。
ボトルネックは米澤穂信さんによる、パラレルワールドを主題とした青春SFミステリ小説である。
「ボトルネック」の簡単なあらすじ
自分の住む環境とは似て非なるパラレルワールドに迷い込んでしまった少年。彼は、パラレルワールドと本来いる世界の違いによって真実を知り打ちのめされいく。
僕は元々、小説の中でも青春小説というジャンルがかなり好きだった。
(伊坂幸太郎さんの砂漠とか、恩田陸さんの夜のピクニックとか好き)
ただ、年を重ねるうちに青春小説の真っすぐさがどこか、もどかしく感じるようにもなった。
現実の世の中は、小説と違ってハッピーエンドに溢れているわけではない。
悲しい最期を迎える人も当たり前のようにいるし、失敗する人なんて数えきれない。
年を取って、そんな悲しい現実を見る度に、青春小説に青臭さを感じて、食傷気味になってしまった。
そんな僕にとっても「ボトルネック」は読みやすかった。
何故なら「ボトルネック」は青春小説の青臭さが、リドルストーリーという手法を使うことによってうまく調和されていたから。
ボトルネックでは、オチの部分で主人公はある選択を迫られることになる。
それは、自殺か、今までの自分に見切りをつけて生きていくかの二択。
所謂、青春小説であれば、
今までの自分に見切りをつけて主人公は新しい生き方を選びました。
ハッピーエンド!で良いような気もする。
しかし、ボトルネックはあえて、結末を曖昧にして読者に解釈をゆだねた。
この読者に解釈を委ねるという手法が、どこか青春小説っぽさを残しつつも、現実の虚しさを上手く表しているように感じた。
実際、作者の米澤穂信は「ボトルネック」について
一作目からの青春小説の一面を一度総括する」という考えから執筆に着手した。完成当時は28歳で「20代の葬送」として「10代や20代前半の感覚が消える前に完成したかった」という想いがあり、執筆時はその感覚の変化に苦労した。
と語っている。
28歳という作者の当時の年齢を鑑みると、僕と同じように青春小説に対して思う部分があったのかなと想像できる。
青春小説を嫌いにはなっていないが、10代ほど手放しで喜べるものではなくなった。
そんな、とても微妙な感覚。
このある種、矛盾を孕んだ微妙な感覚を表現するのに、リドルストーリーという手法はぴったりだったのかもしれない。
※リドルストーリーとは
語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーのこと。