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1月の読書感想文:恋する狐/折口真喜子先生

私は小さい頃から、未来より過去が好きだ。
昔の人の思いや行動が紬がれてきて、今の自分がいるんだと思うと、歴史を勉強するのが楽しくて、高校では日本史Bを選択した。
ただ時代小説が大好きかというとそうでもなく、畠中恵先生の『しゃばけ』シリーズぐらいしか読んだことがなかった。

今回紹介する『恋する狐』はそんな私でも楽しめた時代小説だ。
堅苦しくなく、でもその当時の景色や人々の暮らしの様子が想像できる読んでいて楽しい本だった。

江戸時代中期の、俳人・文人画家として活躍した与謝野蕪村を題材にした連作短編小説で、蕪村が体験したり耳にする、不思議で、でも怖くはない、心が温かくなるお話だった。

昔の人の、見えないものも信じようとし、尊み慈しんだ心って素敵だなぁと改めて思う。
そういう考えが他者を思いやる心に繋がるんじゃないかなぁと最近考える。

自分たちの考えが正しいからそれに従わない他者は、自分たちによって殺害されてもいいと考えている人たちの話を、とあるドキュメンタリー番組で見た。
また別の回では、昔核実験を行った際にどれくらい生物に影響があるか調べるために、動物をその地に配置していたという話を見た。

自分が絶対的に正しいと考え、声なき声を無視し、自分の考えを通す行動は私は嫌だ。
自分の利益のために弱ってる人をつけこむ行為も嫌だ。

そういうことが最近耳に入ってくることが多く、だんだんと曇り空が心のなかに広がっていくようだった。

そんな折にこの本を読んで、雲の隙間から光が差し込んでくるような気持ちになり、読み終えたときは薄い長袖が丁度いいぽかぽかした気温でたまに吹く風が気持ちいい、爽やかな5月を思い出すような気持ちになっていた。

主人公の蕪村も、各ストーリーの登場人物たちもそれぞれ他者を思いやって、自分の周りの人物、起こった出来事を受け入れる。そんな姿が私に勇気をくれたのだ。

たとえば、「いたずら青風」では、

いや、人には天地のすることなんて到底わからん、いうことや。でも、たぶん必要やから風は吹いてる。もしかしたら風が吹くから稲になって病気にかかりにくくなるんかもしれん。燕が渡ってくるとき、この風が助けてくれているんかもしれん。それやのに、わしが絵飛ばされただけで、迷惑やからこんな風いらん、て嫌うのは器が小さいて思わんか?

「恋する狐」折口真喜子、P41

自分が世界の中心で、自分の考え・行動だけが絶対的で正しいものと考えていたら、こんなふうに思えないだろう。
最近はそういう人が多いような、そしてまた、自分もそういう部分があるように思う。
そういう風に思ってしまったときは、この文章を思い出したいなぁと思う。

どの回も不思議なことが起こり、超人的なものだけど、決して怖かったり人を脅かそうとするものではないので、楽しく読み進むことができた。

冒頭で書いた、昔の人の見えないものを尊み慈しむ心っていいなぁというのは、読み始めてうっすらと思っていたことで、何でそんなふうに自分は考えるんだろう?と本を読みながら 

読み終えて思ったことは、
人間が上で、植物や動物が下(下というか人間に管理されるべきもの)という風に考えるのではなく、対等で時には人間の行き過ぎた行動を戒めてくれるものとして行動することで、結果的に他者への思いやりに繋がっていけるんじゃないかと思うし、そういう世界であってほしい。

そんなふうに色々なことを考えさせられる1月だった。

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