人生万事塞翁が馬、失敗したら学べばいい。
ちょっとでも嫌なことがあると、私はその場から逃げ出していました。
逃げ出すとは、文字通りの場合もあるし、二度とその場(何かしらの集まり)へは行かなくなる、車の運転ならしなくなる、職場なら辞めてしまうなどのことです。
早い話、自分の中で、それらは初めから無かったことにするのです。
ただ、職場に関しては責任がありますから、そう簡単には辞めませんが
心折れた状態になり、初心の頃、張り切っていた自分はいなくなるという
意味です。
とんでもない、軟弱者。
理由はよくわからないのですが、大抵、始めのうちは上手く行くのです。
そして、
その後、気を抜いたりして油断するんでしょうか。。。
◇ 嫌なこととは
* 理不尽な目に合う。
* 周りに迷惑をかけて恥ずかしい思いをする。
* 相手が尊敬(信用)できなくなる。 などです。
◇ 軟弱者である理由
これは、育ってきた環境にあると思います。
自分の欠点を他人に転嫁するのはどうかと思いますが、
要は、両親が私の思い通りに何でもしてくれたのです。
そして、両親が自分の思い通りにならないときには、
かばってくれる兄がおりました。
そうです。
世の中、なんでも思い通りになるとして勘違野郎がここに誕生したのです。(情けない)
幼い子供が思い通りにならないとき、ギャーギャー喚くでしょ。
それが、そのまま大人になったようなもんです。
いいですか。
大変恐ろしいことに、思い通りになるのが当たり前だと思っていますので
思い通りにしてくれない人は、意地悪な人、悪人なんですよ。
とんでもないことです。
ついには、その人を嫌ったり、憎んだり、嫉妬したりと発展していきます。
そして、
その人とは接点を持たないよう、努力するようになるんです。
そのため、真の友人は大変少ないのです。
◇ 私の負の一面
◆ 難病という治らない病気になった。
私は今から20数年前に
慢性関節リウマチという病気になってしまいました。
これは、免疫が壊れて、自己の関節という関節に攻撃をしかけ、
遂には、関節を破壊してしまうという何ともやるせない病気です。
免疫が異常反応する点で、アレルギーと似ていますね。
別に異物が侵入したわけでもないのだから、
免疫が自分を攻撃しなくてもいいのになぁと思うのですが、
その攻撃は凄まじく、痛みが強すぎて、
生きていく気力さえなくなるのです。
今でこそ、良い薬や注射などで症状は治まっていますが、
発症当時、どうして私だけがこんな目に合うのだろうと
嘆き悲しんでいました。
随分前のことになりますが、斎藤一人という人が
リウマチになる人は、
人を妬んだり恨んだりしている人なんだと断言されていました。
私はそれを聞いて、謂れのないことだと不愉快に感じました。
しかしですよ、
本当にそうだろうか。
運動もせず、カロリーの高いものをたくさん食べ続けると
肥満になるように。
そうなるには、やはり、それなりの原因が自分にあるのだと思うのです。
結局のところ
リウマチも自分が招いたことなんだと思います。
人を羨んだり、妬んだりしたことが
引き金となり、
微妙に免疫に作用したのかもしれません。
◆ 職場での不運
私は子育てが一段落すると、アルバイトを始めるのですが
その職場の人たちが、
横柄だったり、極端な吝嗇家(ドケチ)だったり、変わり者だったりして
辛い思いをしたことがあります。
職場の困ったちゃん
* 自分の気に入らないことがあると執拗に仕返しをする人。
* 自分の好きな人間を周りに置いておきたいタイプで、
お気に入りの人の為にいろいろ親切にする一方で、
お気に入りがお気に入りでなくなったとき
徹底的に辞める時にまでいじめるにかかる人。
* 捨てることができないため、片づけができない。
いつも散らかっていて不潔。
それにコバエがたかってブンブンしていても気にしない人。
* 暖房をケチって自分はフリースを着て診察に臨む人。
(患者さんは寒いだろう!)
* とくにコピー用紙に執着し、裏紙の空いているスペースさえ惜しむ人。
しかし、その人はパソコンができないためメールさえ開けないので、
それをプリントアウトさせるのだが、それこそ、無駄使いだろ。
* 自分は偉いと思っているので、自分のわからないことを尋ねられると
急に怒り出す人。
この人たちの素の姿を垣間見る度に、根は悪い人じゃないんだろうと
感じるものの、怒鳴ったり、偉そうにされたりするたびに、
逃げ出す準備を少しずつ計画している私が居ました。
このように、アルバイトの行く先々で、心折れる思いをしてきたのですが、このような職場には、共通点があることが分かりました。
共通点とは、
* 丸投げ体質。
* 職員が長続きしない。という点です。
だから、私のようなおばちゃんでも雇ってくれたのか。。と
後で納得です。
◆ 兄の自殺
何かと私をかばってくれた兄でしたが、
大学受験に失敗し、建築士になる夢をあきらめた頃から
どこか自分に自信を失っていたようでした。
結婚し、家庭を持っていたにもかかわらず、
親会社から天下りしてきた上司のパワハラにあい
うつ病になってしまいました。
今から随分前のことで、
うつ病に対する世間の理解もパワハラという言葉もない時代でした。
そして、兄は、世間から弱い人間とみなされてしまいました。
その証拠に、実家で療養する兄を上司が見舞いに来た時
兄と両親を前にして
「本などで見ることがあったけれども、うつ病って本当にあるんですな。」
とその上司は笑いながら言ったそうです。
その後、快方に向かっていたのに。。。
兄は、自宅マンションから飛び降りていまいました。
私は、その上司に言いたい、
お前が、(兄を)殺したんだ。
不思議なことだけれど、
幼い頃、怖い夢で目が覚めた時、
「高いところから落ちる夢を見て怖かった!!
でも、地面には決して落ちることなくフワッとしたと思ったら
目が覚めた。」
と兄に話たら、
「僕は、必ず地面に叩きつけられて、ガーーンって凄く痛いんや。」
と言うのです。
後から思うと、この頃から、
兄は自分の死を予知していたのかと恐くなるのです。
◇ 人生万事塞翁が馬
ある国境の砦に、父親と息子が暮らしていました。
息子は、戦に駆り出されても良い年頃です。
そんなある日のこと、事件が起こりました。
父親の飼っている馬が逃げ出したのです。馬は今の時代で言う資産。
いわば大金を失ったようなものです。
それを知ったご近所さんたちは、父親を慰めに見舞いました。
「いやいや、今回の事件は残念だったなぁ」
すると父親はこう返します。
「それはどうだろう。この災難が幸福になるかも知れないよ」と
そしてしばらくたったある日。なんと逃げた馬が、たくさんの野生の駿馬を従えて戻ってきたではありませんか。
その出来事に、ご近所さんたちもお祝いに駆けつけます。
「逃げた馬が戻って来ただけでなく、駿馬を連れ帰ってくるとは!よかったなぁ」すると父親はこう返します。
「それはどうだろう。この幸福が災難になるかも知れないよ」と。
そしてまた、
しばらくったったある日。息子が野生の馬を手なずけていた際に、
落馬し足を骨折してしまいました。その野生の馬とは、以前逃げ出した馬が連れ帰った駿馬です。ご近所さんたちも、お見舞いに訪れます。
「かわいそうに息子さん、大怪我をしちまったな」
すると父親はこう返します。
「それはどうだろう。この災難が幸福になるかも知れないよ」と。
そのうち、その父親と息子が暮らす地域でも戦が始まり、集落の若者は駆り出されることとなりました。しかし父親の息子は、足を骨折していたため戦力にならないという理由から、徴兵を免れることができたのです。
そして、その命を全うしましたとさ。
この話は、中学の教科書に載っていました。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、
安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。
また、人生において、何がよくて何が悪いのか、
後になってみないとわからない。
もう一つ言えることは
起こった事実にはプラスもマイナスもなく、
意味づけ(幸せ・不幸)しているのは
自分自身だということなんです。
例えば
ある会合が5時半に終わる予定だったとすると。。。
私は5時半を過ぎてもじゃべり続ける講師に不満を持ってしまいます。
内容はいい話なのだけれど、早く帰りたい私は
「え~。いつまでしゃべるつもり!!!」と不満爆発です。
ところが、
私の友人は、
「この会合は、長くても6時までには終わる。」と
思うようにしていると言うのです。
もうわかりますよね。
起こった事実は同じなのに、精神衛生上では全然違うことを。
さて、
私のことを当てはめてみましょう。
◆◇ 難病という治らない病気になった。
この事実についてですが、
確かに、辛い面も多々あります。
がしかし、
私は病気になったおかげで、
自分にとって本当に大切なものは何かを気づくことができたのです。
それは、私を心からサポートしてくれた家族の存在です。
それまで、大事にしていたブランド物の服やバックに靴。
こんなもの病気の私には何の役にも立ちません。
家族がいてくれたから、私は生きてこれたんだ。
◆◇ 職場での不運
丸投げされて、怒鳴られたり、𠮟られたりしたけれど。。
一所懸命したおかげで、自分の身に着いた。
職場の困ったちゃんは、実は自分の中にもある。
人のことは言えないのだ。
人は自分を映す鏡でもある。
鏡を見て、嘆くのではなく、笑顔で自分を褒めてみよう。
今では、役立つスキルになった。
◆◇ 兄の自殺
どうして?
ずっと考えていました。
それを解決するために、ボランティア活動をしたり、
精神保健福祉学を学ぶために大学に入学しました。
たくさんのことを学んだあと、
精神にかかる病気を持った方々が参加する就労支援施設で
実習を重ねました。
そこで、いろんなことを教わりました。
そして、
私は、精神保健福祉士になりました。
ほんの少し前になりますが、
えりんぎさんの記事を見て、思わずコメントしてしまいました。
それは、えりんぎさんのお気持ちが分かる気がしたからです。
えりんぎさまへ
初めまして。
実は、私の兄も自宅マンションから投身自殺をしてしまいました。
可愛い妻と子供たちを残して。
兄はうつ病だったのです。
どうして?ってずっと思い悩みました。
ある日、同じ病気を持つ方からお話を伺うことができました。
うつ病になってしまうと
「死にたい」という衝動が突然襲ってきて、
誰かが悲しむだろう等とは考えられなくなるそうなんです。
もう誰も止められないのだと。
だからこそ、病気なんだと教えてくれました。
そして、自分を責めなくてよいと言ってくださいました。
ところで、
時が経つにつれて、兄のことも心が軽くなる一方で、
おそらくなんですが。。。
兄の上司は、兄について最初は針ほどの重さでしかなかったものが、
遂には、自分を押しつぶすほど、心にのしかかる重さとなり
一生、死ぬまで忘れることなく自分を苦しめていくのだと思います。
それこそが、人間の本質だと思うのです。
大変長くなりましたが、何が言いたいかというと
起こった事実にはプラスもマイナスもなく、
意味づけしているのは
自分自身だということなんです。
つまり、考え方一つで幸せにも不幸にもなるのです。
だったら、幸せがいい。
そのためには、
失敗を恐れてはいけないということです。
その失敗を明日にはダイヤモンドにすることができるからです。
私はもう、逃げたりしません。
よっぽどのことがない限り。🤣
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。