海賊とよばれた男
私はこれを読んで、
こんなすごい人が日本に存在したのかと
思わず、感嘆の声をあげてしまいました。
何故なら、どんなときも、私利私欲に溺れず、日本のこと、従業員のことを
まず第一に考え、その考えを貫き通した人物の物語だからです。
それは。。
出光興産創業者の出光佐三(本中では、国岡鐡造)の生涯と、
出光興産(国岡商店)が大企業に至るまでのサクセスストーリーです。
故 出光佐三氏
出光興産とは
本社所在地 〒100-8321 東京都千代田区大手町一丁目2番1号
設立年月日 1940年3月30日(創業1911年6月20日)
目的 原油調達、石油製品の製造
SS(サービスステーション)向けガソリン・灯油・軽油・
自動車用潤滑油の販売
産業用灯油・軽油・重油などの販売
航空機用・船舶用燃料の販売
水素ステーションの運営など
資本金 1,683億円
この本を読んで、
私は起業家ではありませんが
ビジネスまたは、何かを成功させるために何が必要かという
ヒントを得たような気がします。
ビジネスを成功させるために必要なもの
1️⃣ 才覚
世の中の先を読む力や逆転の発想など
今まで誰もがしてこなかったような
固定観念に捕らわれない柔軟な発想。
2️⃣ 人脈
人とのつながり。
3️⃣ 人徳
本来持っている魅力や生まれつき備わった品性があり、
周囲から信頼され、慕われていること。
う~ん。
どれも難しそうですね。
以前記事にした、「流転の海」の主人公である熊吾には
残念ながら、人徳がなかったように思います。
才覚はあったため、事業は上手く時代の波に乗るのですが
大事な場面で、信頼おける部下に有り金、全部を持ち逃げされること3回。
お金が無ければ、人脈も途絶え、人は手のひら返しをするようになり、
挙句の果てには、
借金取りから逃げ回るというみじめな生活のなか、生涯の幕を閉じます。
しかし、
この本を読んだところ、出光佐三氏はそうではなかった。
部下たちは、一致団結して、必死で出光佐三氏を支えるのです。
裏切る者は一人もいない。
出光佐三氏を支援するため、自己の土地家屋など全財産を投げ打ってくれる人まで存在するのです。その人は、親戚でも何でもないのです。
出光佐三氏が、その人の息子の家庭教師をしたという縁だけなのです。
そうまでさせる出光佐三氏とは、果たしてどんな人なのでしょう。
出光の5つの主義方針というものがあるそうで、ご紹介すると
出光の5つの主義方針
人間尊重
一、出光商会の主義の第一は人間尊重であり、第二も人、第三も人である。
一、出光商会はその構成分子である店員の人格を尊重し、これを修養し、陶冶し、鍛錬し、かくして完成強化されたる個々の人格を、更に集団し、一致団結し、団体的偉大なる威力を発揮し、国のため、人のために働き抜くのが主義であり、方針である。
一、人間がつくった社会である。人間が中心であって、
人間を尊重し、自己を尊重するのは当然過ぎるほど当然である。
種々の方針や手段はこれから派生的に出てくる。
大家族主義
一、いったん出光商会に入りたる者は、家内に子供が生まれた気持ちで。
店内における総ての事柄は親であり子であり、兄であり弟である、
という気持ちで解決して行く。
一、出光商会は首を切らないという事が常識。
首を切られるなど思っている人は一人もない。
独立自治
一、仕事の上においても、私のみが独立しているのではない。
店員各自が、その持ち場持ち場において独立している。
換言すれば、自己の仕事の範囲では全責任を負い、
完全に事務を遂行すべきである。
一、私生活に公生活に独立自治の大精神を体得し、
個々に鍛錬強化されたる店員が、店全体の方針の下に一糸乱れず
一致結束し、団体的総力を発揮するのが、すなわち出光商会である。
黄金の奴隷たるなかれ
一、出光商会は事業を目標とせよ。金を目標とするな。
しかしながら決して金を侮蔑し軽視せよと言うのではない。
一、事業資金として大いに金を儲けねばならぬ。経費も節約せねばならぬ。
ただ将来の事業の進展を邪魔するような、儲け方をしてはならぬ。
あくまでも事業を主とし、資本蓄積を従とし、
この本末を誤ってはならぬ。
生産者より消費者へ
一、創業に際し、先ず営業の主義を社会の利益に立脚。
一、生産者に代わって消費者を探し、消費者に対しては生産界の変遷、
品質の改善発達の状態、需給の釣り合い、市場の情勢、価格の変動等
について専門的の知識を供与し、相互の利便をはかる。
機関は社会構成上絶対必要なる事、社会と共に永久である。
本の中でも、従業員をとても大切しているのが分かります。
消費者の為に、少しでも安く石油等を売るのに新しいことを始めると、
必ずと言って、横やり(嫌がらせ)が入るのです。
しかしながら、
困難と思われる事業を社員一丸となって一生懸命になす姿は、
とても清々しいのです。
苦しいはずなのに、その社員たちには笑顔がありました。
ジャニーズⅤ6の岡田准一さんの主演の映画もあるようですが
やはり、本には敵わないと思いました。
是非、手に取って読んでみてください。
あらすじ(時系列に沿った)
昭和18頃、神戸高商(神戸大学)卒業後、石油の将来性に目を付けていた
国岡鐡造は、就職先の大財閥鈴木商店を蹴って、神戸の酒井商店に丁稚として働く。それは、消費者の利益のために、問屋を介さず広範囲に直営店を展開する「大地域小売業」の夢を持っていたからだ。
鐡造は、ここで店主の心構えを学び、また台湾での商談を成功させた。
神戸高商時代に知り合った資産家日田重太郎から多額の資金援助を得て、
郷里に近い門司に「国岡商店」として独立する。
国岡商店は、石油卸売業者として漁船の燃料を扱うと好評を得る。
販路拡大のため、下関と門司での住み分けを図る協定をかいくぐり、
下関側の漁師に海上(海上では協定は及ばないことから)で燃料を売った
ことから、「海賊」とよばれるようになった。
更に、寒冷な満州でも使用可能で良質な機械油を南満州鉄道に売り込むことにも成功する。こうして海外にも販路を拡大するが、
一方で、同業他社からの反発も強く、さらに日本の石油政策の統制化を受けて、国岡商店は日本国内での営業が困難になる。
念願のタンカー日章丸を就航させて程なく、米国の対日石油禁輸を発端に、大東亜戦争が開戦する。鐡造も、日本のためという一貫した姿勢を貫くが、大局の前になすすべもなく、敗戦を迎える。
終戦後、東京をはじめとした主要都市は徹底的に爆撃されて瓦礫の山となり、日本国民の誰もが途方に暮れて失意に包まれているとき、
国岡商店の国岡鐡造店主は、わずかに残った社員を前に訓示を行う。
三千年の歴史を誇る日本人としての誇りを失わぬように喝 を入れ、
さらに「ひとりの馘首もならん!」と、社員を一人も解雇せずに、
日本と国岡商店の再建に挑もうとする。
売るべき商品「石油」がそもそもないという現実に直面した国岡商店は、
社員一丸となって新しい仕事を求め、様々な業種に取り組む。
やがて海軍からの人材を中心にラジオ修理を手掛け、全国の店舗の営業を再開する。しかし、戦前から国内の同業他社と対立し、石油配給統制会社(石統)からも締め出されていた。
日本への石油輸入再開の条件としてGHQから出された、旧海軍の燃料タンクに底に溜まっている、もう燃料とは言えないような燃料をサラウという、
非常に過酷な仕事を国岡商店は命じられる。
その後も石油配給統制会社からの嫌がらせが続き、販売業者指定案から除外されそうになるが、国岡商店の社員たちが必死になって働く姿が、特にGHQに強い印象を与えたことから、除外は撤回される。
指定を受けた国岡商店は、ようやく石油販売業者として再出発する。
国岡商店は次々と苦難を乗り越え、石油タンクの所有、そして二代目のタンカー日章丸建造を果たし、外国資本によらない「民族系」石油元売として順調に事業を拡大していた。しかし欧米資本の7つの石油メジャー、通称「セブンシスターズ」の妨害により、北米からの石油輸入が困難になった。
同じ福岡出身の実業家石橋正二郎の紹介で、米国籍のイラン人:ホスロブシャヒと知り合う。昭和26年、イランは石油の国営化を宣言し国際関係が不安定になっていたが、鐡造は英国との契約を反故にした経緯を快く思っておらず、イランからの石油輸入を断る。しかし、イランが長年にわたり英国から搾取されている実態を知ると、海外渡航や保険の問題解決、そしてモサデク首相らとの交渉をまとめ上げさせ、ついに日章丸の派遣を決心する。
昭和28年、日章丸は極秘裏にアバダン港に到着し、イラン人の大歓迎を受ける。復路では英国東洋艦隊の海上封鎖を掻い潜る。
この「日章丸事件」は、石油自由貿易や日イラン友好の嚆矢として期待されたが、モサデクの失脚によりわずか3年でイランとの貿易は終わる。
石油メジャーと対決するためには、産油国から直接輸入し、自ら精製する必要を痛感する。バンク・オブ・アメリカからの巨額の融資を受けることに成功する。そして、昭和32年、徳山に、自らの理念を込めた製油所を想定以上の速さで建設させた。
老齢になっても鐡造の反骨精神は、なおも健在であり、消費者や日本の利益にならないと考える生産調整や石油業法には強硬に反対した。
やがて恩人である日田との死別を経て、鐡造はついに引退を決意する。
その後、大勢の家族に看取られ、95歳で生涯を終える。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
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