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#19_クイックルワイパーをかける教師

「ナスビの学校」では、先生たちが「マイ・クイックルワイパー」を持っています(笑)先生たちは、子どもたちが登校してくる朝の時間帯、休み時間、そして、子どもたちが帰ったあとの時間帯に「マイ・クイックルワイパー」を手に、教室やろうかを歩いています。

私も、今、担当している教室の掃除用具入れには「マイ・クイックルワイパー」を常備しています。そして、子どもたちが帰ったあとの教室やろうかを歩きながら、クイックルワイパーをかけています。

「そういうことは、子どもたちにさせなきゃ」
「先生ばっかりがやったらダメだ」

そんなご意見があることも、十分に承知しています。

しかし、それでも、私はクイックルワイパーを自分でかけたいのです。

その理由は、大きく2つあります。

1つ目の理由は単純です。できるだけキレイな環境で子どもたちを歓待したいからです。自宅にお客さんを呼ぶとなれば、いろんなところを掃除します。それは、お客さんを歓待したいからです。気持ちよく迎えたいからです。それと同じです。子どもたちは「お客さん」ではありませんが、「歓待すべき・歓待されるべき存在」です。気持ちよく子どもたちを迎えたいのです。

教室がキレイな場所であれば、子どもたちはそのキレイさを保とうとします。すすんで汚そうとすることはありません。しかし、その逆もしかりです。たとえば、教室のカベに落書きが彫ってあれば、「あ、別に彫ってもいいんだ」「私も彫ってみよう」という気持ちになりやすいです。たとえば、教室にゴミが散乱していたら、「別に私が1個、ゴミを落としたって平気よね」という気持ちになりやすいです。そんな場所は、子どもたちを歓待する場所にはなり得ません。

「古い・新しい」というモノサシではありません。「古さ」はどうしようもありません(笑)

大切にすべきモノサシは「キレイ・キレイじゃない」というモノサシです。

2つ目の理由は、ちょっとした変化に気づく感性を養いたいからです。人伝いに聞いた話なので、詳細はわかりかねるのですが、あるデザイナーさんの方のエピソードが心に残っています。そのデザイナーさんは、毎日、同じお店で、同じ「そば」を召し上がるそうです。その理由を聞いて、私は納得しましたし、感動しました。それは「ちょっとした変化」に気づけるようになるためだそうです。手打ちでつくる「そば」は、ちょっとした気温・湿度の変化によって、仕上がりが微妙に違ってくるようです。ある意味で「目の前にあるそばは、唯一無二のそば」なのかもしれません。「昨日とそばと今日のそば」のちょっとした、ほんとにちょっとしたわずかな違いに気づけるかどうか。そのデザイナーさんはそんなねらいをもったルーティーンを生活の中に取り入れているそうです。

教室でクイックルワイパーをかけていると、教室のいろんなところに目が行きます。床はもちろん、ロッカー、黒板、机の上、イス、掲示物、窓など、様々なものが目に飛び込んできます。そのなかで「ちょっとした気づき」を得られることがあります。学級文庫の本の並びが変わっていたのなら、きっと誰かが読んだ証拠です。机の上にちょっとした落書きがあったのなら、それを書いた子どもには「時間のもてあまし」があったり「画家の才能の目覚め」があったりしたのかもしれません。

こうして「ちょっとした変化に気づく感性」を養っていくことで、明日の朝、子どもたちの「ちょっとした変化」に気づくことができるのかもしれません。(たまに外すこともありますが(笑)子どもたちが髪を切ったことに、私はよく気づける方だと自覚しています。)

「ナスビの学校」では、先生たちが「マイ・クイックルワイパー」を持っています(笑)先生たちは、子どもたちが登校してくる朝の時間帯、休み時間、そして、子どもたちが帰ったあとの時間帯に「マイ・クイックルワイパー」を手に、教室やろうかを歩いています。

クイックルワイパーは「ちょっとした変化に気づく感性」を養うためのアイテムです。

いつもお世話になっております。
ありがとうございます。



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