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『私は裏切り者』という思い込み

私は、いつの頃からか、自分が楽しい!と思うことや、幸せや喜びを感じることをすると、

『私は両親を裏切っている、悪い人間なんだ』というような自分を責める声が、どこかから聞こえてきて、

いつも申し訳ないような感じがしたり、自分は、ゆっくり寛ぐことさえも許されない、罪深い存在であるような気がしていました。

(私の両親は、ある見方では、毒親の部類に入るのかもしれませんが、私が何かすることに対して、ことごとく批判したり、過度に束縛してきたわけではなかったのに、です)


数年前に結婚し、思いがけずロンドンに住むことになったこと。

そして、それまでの私にとっては、到底、行くことは難しそう(私にはふさわしくない…!という思いもあったかもしれません)と諦めていたヨーロッパの国々を旅行できる機会に恵まれたこと。

私にとっては、結婚・ヨーロッパという憧れを2つも叶えられたのに、いつも、どこか苦しかった。

私は、こんなに楽しい、幸せな思いをしても良いのだろうか?

自分には、ふさわしくないのかもしれない、と思うほど、私のまわりには【こういう人たちこそ、ヨーロッパ暮らしがふさわしい】と感じるような、とても素敵な、でも、嫉妬せずにはいられない人が現れ、さらに苦しみました。


帰国してからも、当時の夫は、私に対して、たくさんの愛を差し出してくれていたのに、それを真っ直ぐに受け取ることができませんでした。

嬉しいはずなのに、素直に喜べなくて、辛かった。

だって、私は裏切り者で、罪深い存在なのに、こんなに幸せや喜びをもらったら、

私は、ますます悪い人間になってしまう。だから、罪を償わなければならない。罰を受けなければならない。
もっと苦しみを背負わないといけない。そうしないと、私はゆるされないから。


そんな思い込み、信念を、私が大事に大事に、ずーーっと心の奥深くに抱えていたので、

現実でも、私が悪者にされる(ように見える)出来事が起きたり、自ら、自分を悪者にしたり、苦しめるような行動(母や元夫に感情をぶつける、浪費など)を起こしてばかりいました。


そして【罪深い、裏切り者】の私にふさわしいように、元夫とも、離婚することになったのです。

私には、愛されて、平和で、幸せいっぱいな結婚生活なんて、似つかわしくない、って思っていたのだから当然ですよね。

(この時の私は、離婚することに対して深く悲しんでいた一方で、離婚という罰を与えられて、どこかホッとしていたかもしれません。それにしても、当時の自分を振り返ると、我ながら、可哀想すぎて泣けてきます…)


いま振り返ると、私の月経前不快気分障害(PMDD)の症状が、元夫と結婚してから酷くなったのも、

【幸せを受け取る】たびに、自分を罰していた罪悪感が強く関係していたんだろうなぁ、と思います。

リズ・ブルボーさんの『自分を愛して!』という本にも、

月経のトラブルがある、ということは、その女性が自分の〈女性性〉を受け入れていない、ということを示しています。

と書かれています。〈女性性〉とは、受け取る、受容する、感じること…などですが、私は、女性でありながら、誰かから何かを受け取ること、幸せや喜びを感じることに、深い罪悪感を持っていました。


特に、男性からの愛を受け取る、受け入れることを強く恐れていたのだと思います。

それほど、私が【男性からの愛を受け取る=罪深いこと】だと決めつけていたから。


しかし、罪悪感=エゴ、幻、幻想なんだ…ということを知識として身につけても、自分1人の力では、どうやっても癒すことができませんでした。

なので、私はお祈りによって、この罪悪感を神さまに捧げることにしました。

お祈りといっても、ただ、自分が感じるまま、神さまに聞いてもらう、差し出す感じです。

*神さま
神さまによる無条件の愛を受け取り、私が幸せや喜びを感じることは、両親を裏切ることだという罪悪感をずっと握りしめてきました。
でも、幸せや喜びを感じることを自分を責めたり、裁く機会として、もう受け取りたくありません。
この罪悪感を神さまに捧げます。神さま、このことを通して、私は既にゆるされた存在であること、私は罪を犯すことなどできない無罪の神の子であることを思い出させてください。

自分ひとりで【鏡の実践】や、内観をするだけでも、気づきを得て、癒される、ほぐれていくものはありましたが【自力】には限界があります。

私は、自分一人でなんとかしようとする癖がついていたので、委ねるというのが難しい、恐い…と思っていましたが、限界を感じたときこそが実はチャンス。

【自力】をやめて【他力】=神さまに委ねる、明け渡す、サレンダーへ導かれているときです。

もう自分ではどうしようもできない、となったとき、ようやくエゴは神さまに降参するのです。


私は、お祈りをしたことによって、鎖が巻き付いて苦しかった心が解き放たれて、心の奥からホッとするような、そして、ゆるされたような感覚を味わうことができました。

そして、それは、私にとっては、結婚やヨーロッパ旅行を叶えたときとはまた別の、静かな、穏やかな喜びをもたらしてくれたのです。

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