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藤原定家の熊野詣をトレイル㉖ DAY7 いよいよ海へ
昨夜、内大臣の家人たちにあてがわれた宿舎を追われ、次の王子である岩内王子付近の民家に泊まることになった京極さん。
降り続いていた雨は朝4時ごろにはあがったものの、心のモヤモヤ同様、すっきりとした天気にはなりそうもないが、きょうも夜明けとともに出発し、目的地の切目王子を目指す。
一方、令和組(ひとりだが…)も御坊駅をでると小雨が降っていた。Yahoo!天気によれば雨は降っていないはずなのだが、はぐれ雨雲なのか、コンパクトな黒雲が頭上を覆っている。とはいえ、大した雨でもないので、そのまま7日目をスタートする。
日高川を渡り、岩内王子を過ぎて海に向かう。かつての川は暴れものだからか川沿いの道ではなく、河岸段丘を通り、丘を越えて河口にある塩屋王子へ向かうことになった。
別名・美人王子といわれる塩屋王子は、現在も海を見下ろす高台に塩屋王子神社が鎮座し、海の紀州路の入口となっている。案内板には、かつて製塩を生業にしていたことからこの地名が付いたとあるが、美人王子の由来はわからないらしい。ただ、後鳥羽上皇がここで休憩した記録はある。
お参りをすまし、塩屋王子神社を降りて海沿いの道に出ると、海を眺めながらひたすら南下していく。途中、史跡?といえば清姫が草履を脱いだ草履塚、腰を下ろした腰掛岩の「ドキュメント清姫もの」と上野王子跡くらいしかないが、生えている木や草は南国感たっぷりで見もの。
ほうぼうで繁茂するダンチクをはじめ、ガジュマルのようなタコ足のアコウの木、やたら成長しているアロエ、栽培ものだがパパイヤ、壁面にサボテンも住み着いていた。南紀らしさかはわからないが、亜熱帯感がある。
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塩屋からの約10キロの道のりだが、いろいろとおもしろい植物が出て来るのであきない。そうするうちに印南町に入り、京極さんの時代には津井王子、その後、叶王子と呼び名が変わった王子に到着。高台から街が見える。
ちょうど昼になったので「かえるの港」という直売所でご飯をいただくことにした。お店があるのは嬉しい限りだ。
頼んだのは日替わり定食。湯浅で食べそこなったシラスご飯に野菜の天ぷら、金山寺味噌に卵サラダとお味噌汁がついて1100円。あー出汁が効いてて味噌汁がうまい。かつお出汁のうまさが身に染みる。
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それもそのはず、外に出てみると「かつお節発祥之地」というドデカい看板があった。かつお節の発祥は焼津でも土佐でも枕崎でもないとは聞いていたが、ここだったか。
現在のような燻製でカツオの中の水分を飛ばす「燻乾法」を考えた角屋甚太郎が土佐清水に、甚太郎が製法を教えた森弥兵衛と印南與市がそれぞれ薩摩の枕崎、千葉の南房総と静岡の西伊豆に伝えたとある。
度重なる津波や台風のせいで、印南のかつお節産業が大成することはなかったが、日本の味をつくったのが印南の漁師たちというところにロマンがある。ありがとう印南の先人たち!ありがとうイノシン酸!
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お腹も満腹になり、印南の街を後にして、次の斑鳩王子は切目との中間あたりにある。現在は富王子神社という名で、ここからの海の眺めがまた美しい。ちなみに斑鳩ということで飛鳥時代とのかかわりでもあるのかと思ったら、この地区が光川(ひかりがわ)地区でこの音が変化した説が有力らしい。名前はともかく海を眺めながらの休憩地としてきっと人気だったことだろう。そして、そこから1キロも離れず切目王子が出て来る。
熊野の神はインドや中国から飛来した神であるとされ、熊野に行く前にここ切目に舞い降りたという言い伝えがあることから、この王子は重要な五体王子のひとつだった。切目は殺目とも書き、何やら不穏な名前だが、ここが紀伊水道と太平洋の境(切り目)で、紀伊と熊野の境と名付けられたようだ。
重要な場所だけに御幸の際には歌会が行われ、前年、1200年の御幸で後鳥羽上皇や源通親などが詠んだものが現存しており「熊野懐紙」のひとつとして国宝になっている。
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ここの御神木はナギの樹で魔除けや夫婦円満にいいと、昔からその枝がおみやげになっていた。それじゃあ、わたしもと思ったが、神木をバキッというわけにもいかないので落ちている枝でもと思ったが、どれがナギの枝かわからない。結局、神木に手を合わせるだけにした。
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ちなみに、1159年の平治の乱の際、源義朝の挙兵を熊野詣中の平清盛が知ったのがこの切目王子。ナギの枝を鎧に刺してさっそうと京に戻っていった。その400年後の1585(天正13)年には、秀吉の紀州侵攻でこの社は焼かれている。秀吉という人はよくよく熊野の神と相性が悪い。
そして、1201年。この夜、京極さんはいつものように歌会の朗詠役として召されたが、湯浅以来の体調不良により早々に御所を退出し宿舎で休んだ。ただ、この日の宿は漁師の家だったようで「生臭い」と記している。
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御坊駅~岩内王子~塩屋王子~上野王子~叶王子~印南(ランチ)~斑鳩王子~切目王子
歩いた距離17.7㎞