藤原定家の熊野詣をトレイル⑲ DAY5 キツイぜ蕪坂 うまいぜ塩焼きそば
キツイ。11月も半ばというのに汗がダラダラでている。藤白峠でこの蕪坂を遠めに見た時に「あれを登るのか」と思ったが、想像を超えた。
思えば、かつて所坂王子のあった橘本神社の境内を出発し、市坪川沿いを歩いていた頃は順調だった。ミカン農家のおじさんたちが熊野詣とわかるのだろう、「おう、ご苦労さん」といった感じで挨拶をしてくれるし、途中の一壺王子も案外近くて、王子跡のある山路王子神社の境内には、赤ちゃんの無病息災を願う「泣き相撲」の土俵もあり、なんだかほんわかした空気になっていた。でも、甘い顔はそこまでだった。
舗装はしてある。でも、ずーっと急こう配。足首がV字になってスキージャンプ選手の飛行姿勢になっている。そういえば、後鳥羽上皇についてきていた白拍子のほとんどが藤白の峠がキツすぎて都に逃げ帰ったらしいが、「いやいや、それ大正解ですよ」と言ってあげたい気分だ。
キツさを紛らわすためにいろいろと関係のないことを考えようとした。例えば、この辺りは「沓掛(くつかけ)」という地名。沓掛とは「旅人が草鞋や馬の沓をささげて神に旅の平穏を祈ったこと」だが、それって、神に祈りつつ、もし道中で草鞋が壊れて履けなくなったら、神に奉納した草鞋を使ってくださいという相互扶助のことなんじゃないかと思い、ちょっとジーンとし、疲れも吹き飛んだ。とはいえ、その感動も約2分。また、「あと、坂はどれくらいなんだろう」と考える病がはじまる。そこで今度は、ひたすら地面を見ながら歩くと、舗装したときに動物が歩いたのだろう。足跡が残っていた。
イノシシっぽいな、と思いながらさらに歩いて一壺王子から約40分。ようやく峠に到着した。尾根は意外に平坦で西側の方に向かうと、下津湾がキレイに見える。かつて、紀伊国屋文左衛門がミカンを積み、嵐の中を値段が高騰していた江戸に運んだという伝説の港。あれから300年以上がたつが、いまもミカンがたわわに実っている。
その後、蕪坂塔下王子跡に参り、そのまま、直滑降で山を下りていく。途中、途中で街道を示す地元のボランティアの看板がありがたい。これがなければ道に迷いそうだ。前を向けば、次の糸我峠が見えている。今日中に行くか、次回にするか迷うが、見る限り案外、標高は高くなさそうだ。
とはいえ疲れた。麓の山口王子跡に参り、宮原の街に降りてきた。時間は13時半。おなかが空いている。目をつけていたお店は「本日貸し切り」。そこで、グーグル先生に教えを乞うと、駅前の「まるみや食堂」さんを教えてもらった。14時近かったが快く入れてくれ、焼きそば・650円を頼む。おばちゃんも親切だし、冷たいお茶もありがたい。
腹も膨らみ、駅前なのでそのままピューッと帰っても良いのだが、満腹感と、これまでの2つの峠に比べれば「いけんじゃね」と軽いノリで、結局、有田川を渡り、次の糸我峠を目指すことにした。