部分的な比較
総合的な比較でどちらが良いのかと比べる事は出来ないし、そもそもする必要も無い。
例えば、
プロのスポーツ選手(Aさんとする)が怪我をしてそのスポーツをする事が出来なくなって苦しんでいる、その場合にそのスポーツが出来てる人(Bさんとする)に対して気分が悪い事はよく有る。
Bさんは、他の事がしたかったけど様々な事情からそれがしたくてしてない可能性もあるし、怪我をした人とは才能が全く違ってどんなに頑張っても結果が出せなくて悩み苦しんでる可能性もある。
また、そのスポーツとは全く違う分野で、スポーツするには影響しないけど生活が苦しくなるような持病があったり、お金や人間関係で悩み苦しんでるかもしれない。
そして、
怪我をしてそのスポーツをする事が出来なくなって苦しんでいるAさんに、そのスポーツを現状出来てるBさんが私は他の事で悩み苦しんでるんだよと言ったところで嫌味にしか聞こえないし、だったら先ずはそのスポーツやめてから言えよってなるのは不自然では無い。
Bさんが本当にAさんを思うのなら、出来る方法(例えば優秀な医師を紹介する)を教える、自身もやめてから、又はAさんと似たタイプの人でそれが出来なくなり現在は立ち直ってる人を紹介してあげれば良い。
Bさんは続けながら、Aさんに意見だけするのは性格が悪いだけで不快感を煽ってるように思う。
別の話しになるけど、歌手のクリスタルキングのボーカルが病気で高音が出せなくなって悩み苦しみ荒れてる時に、結局救いになったのは別分野(確かスポーツ選手)での人の話らしい。同じ歌手の意見は聞けば聞くほど気分が悪くなったとか…。
私は今まで、虐待経験からその時の心理、改善方法、親はなぜ子供を虐待するのかと言う親の心理まで納得するまで調べて来た。
なので、子育て中の人に話しを聞かれる事も意見される事も多かった。
上の例え話しで、Bさんは続けながら、Aさんに意見だけするのは性格が悪いだけで不快感を煽ってるように思う。
まさしくこれで、現状の私からすると別れたらいい、子供は捨てたら良いとしか思わないよ。
そこに、私にとっての改善策は何一つ無いのだから…
その人は私とは違う環境で、違う状況で、何かしら悩み苦しんでるんだろうけど、時と場所とそれを話す相手ぐらいは考えたらどうだって思う。
結論、BさんがAさんに出来る事は有るけど、それをせずに意見だけするのは性格が悪いだけで不快感を煽ってるだけだから、やめた方が良い。
気分が悪いだけです。