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読書ノート②100歳の美しい脳

レビー小体型認知症のことは、ある程度理解していたが、アルツハイマーについてはまだまだ勉強不足だった。
近くのブックカフェの方に、出版記念講演会をしたらどうかとお話をいただいたが、講演会などとても偉そうに話すことなどないなあ、でも、お話会ならできそうだと思った。今、私が伝えたいことは、介護の苦労話ではない。認知症は、自分も含めて全ての人が何らかの予防をするべきであり、そのヒントは、いくつかあるのだ。私が自主学習で学んできたことを、お話しする機会にしたい。そう思った。
現在、アルツハイマーの人が認知症全体の70%ほどに達している。
すごい勢いで、増えているらしい。
アルツハイマー病の発見は、1906年ごろ、それから、たくさんの研究がなされてきて、今は、ある程度その病理が理解されるまでになっているのだ。
その功績を導いた「ナン・スタディ」について書かれたのが、「100歳の美しい脳」である。
実は、認知症で死ぬほど苦労するだいぶ前に、なぜか買ってあった、積読書籍であった。未来に対する不思議な予感、認知症について学ばなければという、無意識の導きだったのだろう。気づかず、全てが終わった後、こうしてやっと読む気になったという、ダメダメな感性ではある。
しかし、その体験と、認知症についてある程度は学んでいたことが、この本の深い意味を理解する手助けとなり、私は、読みながら、泣き、修道女たちに感動し、一人一人の運命について考えさせられることになった。

「ナン・スタディ」とは、678人の修道女、アメリカのノートルダム教育修道女会の協力を得て行われた研究である。輝かしい老年期を迎えた修道女たち(もちろん強制ではなく志願者だけだ)に、生きている間は、定期的な認知検査を受けてもらい、亡くなってから、献脳してもらうのである。脳は、保存され、彼女たちの生きた歴史と共に、いろいろな角度から研究ができる母体となるのだ。

献脳と簡単にいうが、死んでから、解剖により脳を摘出するということを、やはり受け付けられない修道女もいた。神様の元へ行く時、体は完全でなければと思う人もいたのだが、多くの修道女は、この研究の価値を思い、自分の体が、みんなのためになるのならばという思いに賛同したのだ。彼女たちのおかげで、たくさんの貴重な発見があったのだった。
修道院という、ほぼ、同じ生活を営む環境で、ある人は、認知症になり、ある人はならない。ある人は、90歳までも生きられず、ある人は100歳を超える。その違いとは何なのか。

長い年月の中で、アルツハイマーの原因が、アミロイドベータという異常タンパク質が出す毒素によって、脳細胞が死滅していくということだとわかった。しかし、脳を見てみると、アミロイドベータが蓄積していても、生前アルツハイマーの症状が出ない人もいることがわかったのだ。この違いは何なのか。

次々と謎が浮かび上がる。
研究は続く。

修道女というと、とても不自由な生活を強いられる存在のように思われるが、実は、終末期においては、私たち世俗のものよりよほど恵まれている。認知症や老齢で看病が必要になれば、教会で用意されている病棟などに移り看護を受け最後までケアを受けることができる。修道女であるということは、教会の庇護下になり、最後まで誰かが、ケアしてくれる仕組みができあがっているのだ。

しかし、我々世俗の人間は、自由という名のもとに、全てを自分で選ばなければならない。介護が必要になった時には、病院も介護施設も自分で探していかねばならず、行政の制度も誰も親切に教えてはくれない。収入状況によっては、施設に入れることもできない。その前に、ホームレスになることすらある。老後の不安は、数限りなく押し寄せてくる。もちろん、金銭的余裕のある人は、この論から外れるのは、いうまでも無い。

人生の目的、精神の豊かさ、この研究に参加した多くの修道女の人生に触れると、透明な泉の水に癒されるような、そんな気持ちになる。
今、私たちが手にする情報は、こうしてたくさんの人たちの善意によって、情熱によってもたらされていることに、改めて感謝したくなる。


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