
【トラウマ克服】人を愛することが怖いあなたへ
今回の記事は
私が抱えていた深いトラウマの話。
ちょっと長いかもしれないけれど
もし、今あなたの目の前に
「どうやって超えたらいいか分からない壁」
があるならば
ちょっと目を通してみてほしいのです。
先日のある夜。
いつものように、寝る前の瞑想をしていたら
ガチャッと、心のどこかが開く音がして
「これはなんだろう?」
と思って、深夜に一人で内観を始めました。
そこで分かったのは
私、人を愛することが死ぬほど怖かった
ということ。
“愛する”という言葉の抽象度を
もっと具体の方に下げるならば
誰かをランチに誘ったり
「これいいよ!」と思う物をオススメしたり
みんなの輪のなかに自分から入っていったり
誉め言葉を素直に受け取ったり
SNSで友達にフォロー申請をすることでさえ
そういう「誰かに愛を向ける」という行為が
私の中でメガトン級のトラウマだったんですよ。
もうめちゃくちゃ怖いわけ😂

人間って誰しも
人生のなかで向き合う“課題”を持っていて
それというのが
幼いころに負った“心の傷”と
深く関係しているんですよね。
私の場合は
その傷が『他者からの拒絶』でした。
大好きな人に愛を求めた時に
拒絶されて苦しさを味わって
その味を強烈に記憶しているということです。
『他者からの拒絶』の傷があると
人間は『逃げる』ことを選択します。
もう二度と、あんな思いをしないように。
死ぬほどの惨めさを回避するために。
大好きで大切な“わたし”が
これ以上悲しまないように。
そうやって
エゴの方で防衛反応を起こすんですよね。
だから私は子どもの頃から
友達と深い仲になることをずっと避けてきたし
一匹狼で行動する方を選択してきた。
その方が
誰かに嫌われて拒絶されるリスクがないから。
下手に誰かと仲良くなって、その人から愛される方が
私にとっては“都合が悪かった”。
エゴの自動防衛反応が発動しちゃうからね。
でも!でもですよ。
そんな『拒絶の傷』を持っていて
他人と関わることを避けてきたからこそ
心の一番深いところでは
『他者からの愛』を渇望していたんです。

「私はひとを愛することが怖い」
そう自分の口で声に出したとき
今までにない鳥肌が立ったので
これは向き合うしかないと思って、
潜在意識の書き換えセッションを
自分で自分にやってみた。
その時フラッシュバックしたのは
まだ4歳の頃の記憶。
当時、私が4歳で、弟が2歳。
妹を妊娠しながらワンオペ家事をしていた母が
いつものようにイヤイヤ期全開の弟を
叱っていたときのワンシーンでした。
いつものように言う事を聞かない弟を
ヒステリックに感情全開で叱る母。
私はひとり遊びをしながら
その光景をじっと見守ってた。
ああ、これ、お互いやりすぎてるなって思ってた。
その時です。
母が突然泣き出したんですよ。
「なんで言う事聞いてくれないのよ…」って。
もう声を上げて号泣し始めた。
あまりの出来事にビックリする弟を後目に
私がとった行動は、
母を慰めることでした。
もう大丈夫だよ、泣かないで。
きっとちゃんと聞いてくれるよ。
って、母の背中をさすってた。
これ、分かりますか?

たった4歳の私は
誰の注目も愛情も浴びず、
家庭のバランサーとしてのスタンスを
"自ら”とっていたんです。
自分勝手なことしちゃお母さんが悲しむ。
弟たちの方が手がかかるんだから
私はしっかりしないと。
って、自分で思い込みを採用した。
でも、もっと本当の本当は
『私のことも、もっと見て』
って思っていたんですよ。
本当は
お母さんに愛してほしかった。
もっと自分のことを見てほしかった。
でも、そんなこと言っちゃいけない。
どうせお母さんはいつも手一杯で
私のことなんか見てくれやしないのだから。
明日も弟や妹の世話が大変だから
私はしっかりするしかないんだ。
ってね。
親に直接的に拒絶されたというよりも
「私って拒絶されてるんだ」
と、自分で思い込んだわけです。
これ、長女さんに結構あるんじゃないかな?

内観をしながら
「人を愛することが怖い」という事実と
「本当は愛のなかで生きたかった」という真実に気づいたとき
涙が止まりませんでした。
ああ、やっとあの時の私に会いに行けた
って。
人間の心には
負っている傷と
それを隠すための防衛反応がある。
そして、そのもっと奥に
渇望している“望み”がある。
この望みに気づいたとき
人は本当の意味で癒しを得るのだと思うのです。
そして、その望みに向かって
まっすぐ手を伸ばせるようになることが
人生をかけての修行なんだとも思う。
はあ……、私今28歳なんですけど
この若さでここまで到達するってことは
これを世界に広げていくお役目があるんだろうな。
心の探求、意識の探求に
終わりはありませんね。
今日も人生の一人旅を楽しみたいと思います。
長々と書きましたが
最後まで見てくださって
ありがとうございました☺️❤️