思わず感動してしまう「はい」がある
先日、プライベートで妻のお父さんにリッツカールトン大阪にある「THE Bar」に連れていってもらいました。
ご想像のとおり、めっちゃ雰囲気のある素敵な空間です。
お酒は美味しいし、生ピアノが演奏されていて、上質というのはまさにこういうことなんだろうとお酒と雰囲気に酔いしれながら勉強になりました。
しょっちゅうは来られませんが、たまには一人でふらっと来て、この雰囲気になじむ人間になりたいものです。
よし、今年の目標が1つ増えました。
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そして、その時にもう一つ気づいたことがありました。
それは・・・
スタッフの方の返事が、みんなすてきなのです。
まだうまく言語化できないのですが、単なる「はい」という返事一つにさまざまなバリエーションがあるのです。
お客の質問に応えるときの「はい」。
酔っ払いが放つ軽い冗談を受け止めるときの「はい」。
新しいボトルの説明をするときの「はい」。
声のトーンや大きさだけではなく、たった2文字の「はい」に込められている心がそれぞれ違う。
その時々の「はい」に込められているやさしさや敬意、笑いや丁寧さがしっかり伝わってくるのです。
まるで「はい」だけで、すべてをものがたっている感じがするのです。
気づいてしまうと、ちょっと感動です。
たしかに「はい」という返事だけで「あ、この人は信頼できるな」と思う瞬間ってあるような気がします。
「はい」を聞いただけで、その人の仕事のていねいさや向き合う気持ちの度合い、コミュニケーション力がなんとなく感じ取れる瞬間。
たとえ新人でも、何か仕事を任せたくなるような返事ってありますよね。
信頼できる人って、なにか共通して気持ちのよい返事をしてくるものです。
そして、信頼とは「長い時間をかけて出来上がる」もの。
ぼくは今までずっとそう思っていた。
もしかして、それだけではないのかも。
心地よい「はい」というのは、言われる側がほんとうに嬉しくなってくる。信頼とは1発の返事であっさり決まる、場合だってあるのかもしれません。
さすがリッツですね。
「はい」というたった2文字でお客の心を動かすなんて。
響をロックでいただきながら、そんな感動も同時に味わっていました。
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今の時代、すべての人が「信頼に値する人かどうか」をつねに値踏みされながら生きていると言えます。
ぼくのような吹けば飛ぶようなフリーランスはまさに。
じぶん自身が歩く商品なので、値踏みされまくります。
いかに信頼を高めていくか、は永遠の課題のような気がします。
信頼とは目に見えないものではあるけれど、日常の立ち振る舞いのはしばしに、そのかけらは表れているものです。
ささやかなことにも心を使えているかどうか。
それが言葉ひとつ、振る舞いや表情に表れてしまうものです。
リッツの方々は、本当に自然体で心を使えていたように感じるんですよね。
これって、仕事中だけではむずかしいことだと思います。
ふだんから心をつかって日常生活を送っているのではないでしょうか。
そんなことも次は聞いてみたいと思います。
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ひるがえって、最近の自分自身の「はい」ってどうだろうか。
仕事で使う「はい」はいいとしても、
家にいて妻に小言を言われたときの「はい」。
→とくに最近、思いやりがない・・
子どもに遊びを強要されるときの「はいはい」。
→2回言っている時点で、子供といえどちょっと失礼・・
そもそも「はい」ではなく「うん」を多用している。
ダメだこりゃ。
相手が気持ちよく感じる「はい」を使えているとは到底思えませんでした。
調子いいときの「はい」と気持ちが乗らないときの「はい」に、明らかに温度差がありすぎます。
というか「はい」自体が少ない。
ちょっと反省しています。
もっと思いやりと余裕と、相手と一緒にやろうという気持ちを込めた「はい」を言えないとな、と。
相手が心地よくなるような「はい」を言える心を育てていこうと思います。
そんなところに目を向けながら、じぶんらしい「はい」を使える人間になれたら、素敵なことだと思いませんか。
相手が思わず感動してしまうような「はい」。
返事ひとつで信頼を感じさせる人。
いつかなりたい姿です。
あなたの「はい」はどうでしょう?
それでは、また。