日記「納得を追求する生き方」
身内と再会するたびに「あなたの人生にはネタが尽きないね」と言われる。
褒め言葉でもなく、かと言って嫌味でもない。
恐らく、私の人生って傍から見れば「慌ただしい」のだと思う。挙動も、感情も、やることなすこと、すべて。
「平穏」や「安定」とは程遠く、いつも足掻いて、藻掻いている。
『もっと自分を誇ったら?あなたの音楽はどれも素直で、率直よ。
でもそれって、ときに孤独よね 』
先日鑑賞したある映画の脇役が放った言葉なのだけど、やけに響いた。
私は病的に嘘がつけない。自己保身の嘘さえつけない。だから他者をいとも簡単に傷つけてしまう。もしくは怪訝な顔をされる。
大半の人間関係は表面的な部分を活用してうまく循環しているのだろうけれど、それが、むずかしい。
つくづく、私って生きるのが下手くそだなと思う。
猪突猛進で、迷走をしているようなアンバランス。
だけど、最近になってやっと分かってきた。
この「周りから浮いた感じ」を理由に自分を責める必要は、一切ないのだと。
つまり「周囲の納得が得られなくとも、私自身が、私に納得していればよい」と。
私生活において、他者の言う「迷惑」って、大げさに言えばその人のエゴなのだと思う。
問題は「迷惑」と言いながら離れられずにいることで、人間関係のアップデートは大事なのだろうな。
不都合が生じると、人は離れていく。その離れるという決断を、こちらは責めずに尊重することが大人、なのかな。
今は心理学の知識を拝借して、カウンセリングに通いながら、自分を優しく抱っこするようなつもりで生きている。
これからは「今、この瞬間。私は自分に納得しているか?」という問いを、そばに置いて、生きていきたい。それが「慌ただしく」「遠回り」であろうと。
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