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愛がわからないなんて、可哀想な人ですね。

「愛がわからないなんて、可哀想な人ですね。」
大学1年生で履修していたジェンダーの授業で、教授から言われた言葉だ。
100名程の学生が履修する講義にしては珍しく、教授が学生をランダムに指名して質問するタイプの授業だった。

講義の中で同性愛、異性愛を描いた映画を観たあと、先生から名指しで「愛とは何でしょうか?」と問われた。
私は十数秒考えたあと、「わかりません。」と答えた。
大学4年生の今振り返ると、「わかりません。」なんて大学生のする答えではない気がするし、教授は少しイラっとしたのだと思う。

この時の私は結構真剣に愛について考えてはいた。そこで思い浮かんだあれこれもあった。それでも、「今の私が語れるほど愛は簡単なものじゃないだろうな。」という気持ちから、教授を苛立たせるような回答をしてしまった。

この時から、私には「愛」がどうしてもひっかかる。
「愛」って何だろう?「愛」がわからないのは可哀そうなことなのだろうか?そもそも本当の意味で「愛」をわかっている人なんているのだろうか?いるとしても、「愛」をわかったつもりでいるだけではないか?「愛」に正解ってあるのだろうか。

「愛」をわかりたいと思ったり、「愛」なんて妄想だと思ったり、今でさえとてももやもやする。
「愛」は私の人生の一つのテーマになった。

愛について深く考えるときに頼ったものたちを記録としてここに置いて置こうと思う。今後、私が愛について悩み、眠れなくなってしまったときに、帰ってくる場所にしたい。
もしも、私と同じ「愛がわからない可哀そうな人」がいたら、私が頼った読み物を読んでみてほしい。感想を言い合って、一緒に「愛」を考えたい。
喫茶店でコーヒーと焼き菓子を食べながら、愛について議論を交わしたい。

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