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抜け落ちてゆく思考をすくうのは、吹き抜けから注がれる光

抜け落ちてゆく日々の思考をどうにかすくいたくてずっと悩んでいた。 ここでのすくうとは「掬う(拾い集める)」とか「救う(取り戻す、生き返らせる)」ことを指している。 思えば幼少期から思考や想像することがストレス発散だった。お散歩をしながら、お風呂に入りながら、ごはんを食べながら、などなど隙があれば自由に物思いに耽っていた。 高校生くらいからSNSを使うようになると、頭の中で考えたことを写真と言葉を組み合わせて保存するのに最適なInstagramにどっぷり浸かった。それだけなら

    • イライラを以て社会学をする

      どどどどど がっがががが 言葉が耳を伝い、頭の中に鈍くとげとげしい音として流れ込む。 今までもずっとこの不快な音と戦ってきた。 誰かに嫌なことを言われたとき。 友達が目の前で嫌みを言われているとき。 誰かの悪口を誰かが言っているとき。 この音を鳴らす者たちは往々にして 自分が客観的に見て、こんなにもひどい音を鳴らしている ということに気づかない。 そんな時に私は自ずと、本に助けを求めてしまう。 小学生の時からの習慣である。 大学に入ってからは総合政策学部に所属していた

      • 愛がわからないなんて、可哀想な人ですね。

        「愛がわからないなんて、可哀想な人ですね。」 大学1年生で履修していたジェンダーの授業で、教授から言われた言葉だ。 100名程の学生が履修する講義にしては珍しく、教授が学生をランダムに指名して質問するタイプの授業だった。 講義の中で同性愛、異性愛を描いた映画を観たあと、先生から名指しで「愛とは何でしょうか?」と問われた。 私は十数秒考えたあと、「わかりません。」と答えた。 大学4年生の今振り返ると、「わかりません。」なんて大学生のする答えではない気がするし、教授は少しイラっ

      抜け落ちてゆく思考をすくうのは、吹き抜けから注がれる光