【凡人の対談 15.「凡人の幸福論」(3):「蟹(カニ)は、自分の甲羅と同じ大きさの穴を掘る】
これは、とある凡人が、さまざまな人間たちから、彼の経験談や考え方を根掘り葉掘り聞かれまくるという、しょうもない話である。
〜とある怪しげな一室〜
「蟹穴(かにあな)主義、ですか。。。」
「え? あれ? もしかして、ご存知ないですか? 優秀なあなたのことだから、当然知っていると思ってましたけども。あれっ?笑」
「一丁前に煽らないでください。もちろん存じています。『渋沢栄一さん』が、彼の著書、『論語と算盤』のなかで仰ったことで、正しくは、『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』つまり、『自分の身の丈を守る』その上で、前進していく。そういう言葉ですね。」
「知らなかったわけではなく、あなたのような凡人が、この言葉をご存知だったことに少々驚いたのです。」
「はい本当にすいませんでした!!むしろご存知ですいませんでした!!」
「大丈夫です。これがあなたが大切にされていることですか。」
「はいそうです! 人は夢みがちなものです。それ自体はいいことだと思いますが、あまりに自分の力を過信して、身の丈を超えた望みばかり追い求めてしまうと、なかなかうまくいかないものだと思うんです。」
「と、言いますと?」
「はい。以前の僕がそうでした。僕はとある大手外食企業で、大学生の頃からアルバイトをしていました。その時学生ながら、店長の真似事をやらせてもらったことで、僕自身の中にも、理想のお店、理想の会社像のようなものを持つことになりました。」
「そうだったんですね。べつにそれは素晴らしいことではありませんか。」
「はい。今もそのこと自体は、いいことだったと思いますし、それが実際に僕が会社に入社する動機にもなりました。僕を会社に推薦してくれた上司達は、僕に『会社を変えてくれ』と期待しましたし、僕自身も、『会社を変える』と意気込んでいました。」
「はい。それでどうなったのですか?」
「はい。比較的能力は高い方でしたし、意欲もあったので、社員採用や、新店舗の立ち上げなんかを経験させてもらいながら、順調に店長まで昇進することができました。初めて店長を務めたのは、その時に開店した新店舗でした。」
「なるほど。割と期待されていたのですね。」
「はい。そうだったと思います。初店長が新店舗というのは、前例もなかったようです。それもあって、僕の理想を実現させるという気持ちはより強くなりました。そこで、僕は失敗したのです。」
「ほう。どのように失敗したのですか?」
「はい。スタッフ達に僕の理想を押し付けてしまったのです。もちろん恐怖政治とかそういうことではなく、人によって言い方を変えたり、対応を変えながら、寄り添う風でありながらも、答えはいつも決まっていたのです。」
「なるほど。」
「別に悪い理想ではありませんでした。『スタッフがどんどんと成長し、互いに高め合い、一流の能力を身につける。』『人間関係も良好で、よい雰囲気である。』『人員も豊富で、店としても、売上・利益がしっかり取れる。』『スタッフそれぞれが、当事者意識を持ち、店の改善に自発的に務める。』、そういうものでした。」
「確かに悪くはありませんね。」
「はい。ただ、言わば、『野菜が健康にいいから、あの手この手で野菜を食わせる。』みたいな感じでした。もちろん間違ってはいないので、実際に健康になる人『も』います。ただ、それを不満に感じる人、合わないという人は、辞めてしまいます。」
「なるほど。それはそうかも知れません。」
「まさにそんな感じでした。僕と価値観が合った人は、理想通りになります。ただ、合わない人は離れていく。そういう現象が起こってしまいました。幸いなことに人がいなくなって、営業が回らなくなる、みたいなことはありませんでしたが、僕にとっては、非常に辛いことでした。」
「わかります。誰しも、他人が自分の元を去っていくのは、辛いものです。」
「はい。これの原因は、僕自身が、自分の身の丈に合わないものばかりを追い求めたことにあります。つまり、僕が掴もうとしたのは、会社を変えることだったのです。会社を変えるために、なんとしても結果を残し、自分の理想が正しいことを証明する。こういう動機で行動してしまったことにあります。」
「なるほど。先程の『蟹穴主義』とは違う行動をとってしまったわけですね。」
「はい。僕は『身の丈』を知らなかったのです。もちろんそれは、会社を変えようとしてはいけない。ということではなく、その順番の問題です。僕がまず掴むべきだったのは、『理想のお店』です。会社をどうこうなど考えるより先に、自分の手が届く範囲、つまり、お店を良いものにすることだったんです。」
「自分の手が届く範囲のものをしっかり掴まずに、手の届かない範囲のものばかりを追い求める。その結果、何も掴めない。ましてや手が届く範囲のことさえも、疎かになる。そういうことになってしまったのです。」
「そうですか。だから『蟹穴主義』なのですね。」
「はい。まずは自分の身の丈を知り、それを守ることで、自分の手の届く範囲の物事に注力する。そうして少しづつでも、理想に向かって前進していく。つまり、『理想』と『身の丈』のバランスが大切だと気が付いたんです。」
「なるほど。よくわかりました。つまり、『自分の身の丈を守り、自分ができる範囲のことをやっていくことで、満足しながらも、理想に向かって前進していくことができる。』、そういうことですね。」
「はい、おっしゃる通りです。ここまで話したことが、僕なりの『幸福論』のようなものです。」
「わかりました。どうやらそろそろお時間のようです。また機会がありましたらお声かけしますので、その際はよろしくお願いします。」
「はいこちらこそ!よろしくお願いします!!」