できました。100週連続note更新。
しゅんしゅしゅんです。
ひそかに、誰にも言わずに、なんとなく目指していた100週連続note更新がでけました。
先週UPしたnoteが実は100週連続目のnoteだったので、UPする時に、「100週連続すごーい」のポップアップを見ることを愉しみにしていたのに、そんな時に限って普段やらないスマホアプリからのUPをしてしまい、ポップアップが表示されることなく、スクショをとることなく終わってしまいました。
ぐううう無念。
このnoteをUPした後に101週連続更新のポップアップが出るはずだから、せめてそのスクショをとって、このnoteのTOP画像を張り替えておこうかなと思います。あ、でもこのペンの画像かわいいからどうしようかな。
100日連続更新を達成した時と比べると週1更新なんで、なんということのない記録だけど、ここまで続けた自分に乾杯です。そして、noteを始めたのが2018年の8月14日なので、実はあと1か月でいつのまにやら2年が経とうとしています。
この節目に、noteの画面に向かって、キーボードに手を置いた瞬間に思う特別な何かがあるかなと思ったが、意外に(いや予想通りに)なかった。
noteを書くことが習慣化し過ぎている。息を吸うようにnoteを書いている。毎週土日になるとnoteを書く謎のスイッチが入る。
noteを通して何かを成し遂げたいとかって気持ちや高尚な目的はあまりない気がする(昔はもっとあった気がする)。noteを書くこと(=アウトプットすること)で起こる良いことはいつくもあげることができるけど、その良いことを強く意識して続けているわけでもない。
それでも面倒だとは思わないし、やめようとも今は思っていない。
「なんで好きなの?なんで続けているの?」と聞かれると「わかんない」「理由なんか別にないよ」って回答がまず頭に出てくる。理由をあげることは容易にできるけど、なんだか野暮な気がする。でも理由を語り出したらとまらないというか、饒舌になると思う。
好きなことってのは、こういうことなのかなと思う。無我の境地のような。
もうそこに大した理由を感じなくなる。理由を求めていない。理由がなくても心配にならない。理由がないことに違和感がない。
それでもやってしまうこと。それが好きなことなのかもしれない。
…本当にそうなのか。
そう思って終わろうと思ったが、本当にそれでいいと思っているのかなあ。
好きだと間違いなくいえるのだったら、だからこそ、やっぱりもっと愉しみたい。
好きなことってこういうことなのかもしれないなんて、わかるようなわからないような着地をすることもできるけど、好奇心と成長欲とチャレンジ精神を失ってダラダラしているだけだって着地もできる。
惰性はおっさんのはじまりだ。
今でも愉しいけど、もっと愉しめるはず。ここまで愉しいのだから、もっと愉しめるはず。好きだからもっともっと愉しみたい気持ちが心の中にはある。やっぱりあった。いい文章を読んだらドキドキするし、憧れるし、悔しい。もっともっと上手になりたいって気持ちもある。やっぱりあった。
続けるだけの目標は、もー飽きますた。
100週連続更新を終え、note2周年を迎えるこの節目に、どんなわくわくを詰め込もうかしら。