長年の困り事がAPDという障害だった件

こんにちは。春なのに寒いなぁと思っていたら急に初夏みたいな暑さ、麗かな春はどこへ???

今日は長年困っていたけどみんなもそうなんだと思って必死に耐えてた症状が実は障害だった話をします。

ADHDの民はもしかしたら「えっ自分も…!」ってなるかもしれないので良ければみて。


聞こえるんだけど、聞こえない


健康診断の聴力検査は正常(むしろ良い)、夏に最新のビルに入る時にはモスキート音もバッチリ聞こえる。

でもなぜか人が何を言ってるのか聞き取れない
人の話を聞いていると周りの音が聞こえない。
人が話してる音や周りの音自体は聞こえているんです。でも、それが認識できない。子供の頃からそんなことがありました。

自分はおかしいんじゃないかと不安になったこともあったし音にまつわることで不快になることが多かったけど、他の人の聞こえ方なんて分からないしそれが普通なのかなぁと諦めて過ごしていました。


APD(聴覚情報処理障害)


その症状が実はADHDと併発していることが多い障害だと最近知りました。

APDとは、聴力は正常であるにも関わらず、日常生活のいろいろな場面で聞き取りにくさ(聞いた言葉の内容が理解しづらい状態)が生ずる障害。

具体的には、

  • 聞き返しや聞き間違いが多い

  • 長い話を理解するのが難しい

  • 雑音やバックグラウンドミュージックなど、環境が悪い状況下での聞き取りが難しい

  • 口頭で言われたことは忘れてしまったり、理解しにくい

  • 視覚情報に比べて、聴覚情報の聴取や理解が困難である

等が挙げられています。私の困り事そのものですね〜。


実際の私の症状たち


・歌詞が覚えられない


子供の頃から本当に歌詞が覚えられない子だった。親がよく話していたエピソードとして、まずは有名な童謡『いぬのおまわりさん』。

幼き日のワイ「まいごのまいごのこねこちゃん〜♪」

親「(おっ歌ってるぞ…)」

ワイ「わん!わん!わわーん!わん!わん!わわーん!」

親「(終わった〜〜〜〜!!!!!)」

別の日には、

ワイ「あかいくちゅ〜、は〜いてた、お〜ん〜な〜のこ〜♪」

親「(おっ今日は赤い靴を歌っているぞ…!)」

ワイ「い〜っちゃ〜った〜」

親「(また終わった〜〜〜〜!!!!!)」


…という具合に親や幼稚園の先生が繰り返し歌っていた歌でも覚えることができなかった。ちなみにメロディを覚えるのは結構得意。

幼稚園の劇の発表会ではそもそも歌わずに変なことしてるし(詳しくはADHDについて話してる記事を参照)、家で歌を歌うことがあまりなかった(今思えば歌詞が覚えられないから歌えなかっただけなんだろうけど)から特に問題にならず。

小学校以降は歌詞や楽譜見ながら歌うことが多いし、歌詞を見ながら繰り返し歌った曲は一時的には覚えられたので特に問題にはならなかったよう。
ちなみに私、カラオケ大好きでフリータイムでヒトカラに籠るような女ですが歌詞をフルで覚えている曲って多分国家くらいです(歌詞見て覚えたし短いからね)。子供の頃に歌った童謡・讃美歌・校歌・市歌、メロディなら聞いたら思い出すかもしれないけど歌詞はほぼ全く覚えてないです。歌い出しすら覚えてない。
友人との集まりで小学校の校歌覚えてるよー!って歌い出す人のこととか超人か?!って思ってた。

まぁ正直これに関しては自分って物覚えが悪いなぁって思うくらいで実害はあまりない。


・散々話を聞いたあとに起こる「で?何の話だっけ?」

学生時代の朝礼、式典の来賓者の祝辞等で主に発生する。自分の中のADHDと闘いながら何とか聞いたはずなのに、何故か、

なんて言ってたのかまるで覚えていない

音としては頑張って聞いたけど言葉として理解してインプットするができてないんですね。学生時代は覚えていないことすら気付いていないことも多々あったので、何故かみんなが自分より色々知っていて(プリントの提出期限など)、「なんで知ってるの?!」と聞くとみんなが「朝礼(帰りのHR)で言ってたじゃん😅」と…。え?その朝礼私もいたんだけどなおかしいな…そしてその疑問も脳内多動の渦の中に消えていくのであった…

まさに、「馬の耳に念仏」ならぬ、「APDに朝礼」でございます(誰が上手いこと言えと)

これが問題になったのは社会人になってから。

昭和の香りが残る我が社では未だに全体朝礼がありそこで役席の月間や週間の予定や共有事項を共有するし、偉い人のありがたーいお話もある。ここまでは学生時代と同じ。問題は輪番でその朝礼の内容を報告書にまとめないといけないことだった。(週に1回は回ってくる、酷いと2回)

まず由緒正しいADHDなので遅刻ギリギリでオフィスへIN、ふぅ間に合ったと席に着くとあれ?みんながいない?(または優しい人が何してんの行くよ!とか言ってくれる)、あぁそうだ朝礼だったと走って朝礼に滑り込む。輪番の担当でなければあとはぽけーっとしておく。あとで報告書見たらいいからね!

問題は自分が当番の時。何とか朝礼に間に合っても自分が当番ということを忘れるし、思い出しても話聞いてるうちにまた忘れるし(やば)、今日はちゃんと聞かなきゃ!と聞いてふんふんふんってなっても朝礼が終わると「あれ…?何言ってたっけ…?」(後述するが聞きながらメモをとるもできない)

まずは近くの人のメモを覗き見て、あとは仲良い人に「今日当番なんですよ〜言ってたのって◯◯と◯◯と◯◯(自分の役に立たないメモと盗み見たメモの情報から)ですよね〜?」と話しかける。

同僚「あと◯◯も言ってたよ?」
私「わー!そこよく聞こえてなかったところかもしれないです!他にも何か言ってましたー?」

かき集めた情報を元に報告書を作成、上司に投げる。後日確認すると大量の赤字の修正。投げ返すタイプの上司だと朝礼の報告書の訂正のやりとりだけで30分くらい使う(そんな状況なのでADHD発揮して誤字脱字もやばい)。最終的には上司が折れる。

上司「ぺたりさんは真面目だし仕事できるけどこういうとこがなんかなんだよなぁ〜」
ワイ「ヘヘッ、クズですいやせんww」

こんなやりとりが日常茶飯事。
この朝礼の議事録作れない問題は他のADHDも絡んでかなり困っていました。他の委員会の会議とかも一緒。
普通にこなせている周りの人たちはきちんとしててすごいなぁと思っていました(周りはアンタがやばいんやでって思っていたと思う)

人と話してるときも長い話だと良くわかんなくなっちゃうし聞いた話の8割は忘れる。私と話すときは要点押さえて短めでオナシャス!秘密を話しても忘れるから安心だよ!

・聞きながらメモが取れない

これが多分子供の頃から色んな問題の原因になっていたのではないかと思う。

例えば「あいうえお」と聞きながら「あいうえお」と書くことぐらいならできるけど、「かきくけこ」と聞きながら「あいうえお」と書けない感じ。聞くことを優先すると手元も「かきくけこ」と書いちゃうし書く方を優先すると「かきくけこ」は聞き取れない(なんかしゃべってるなとは聞こえるけど何て言ってるのかは分からない)。

まず学校生活。話を聞けない、ノートがとれない子だったけど原因はADHDだけでなくここにもある気がする。先生がしゃべってるのは分かる。でも何て言ってるのか何の話してるのかはよく分かんない(特に早口とかボソボソ系だと無理)。授業の内容も伝達事項も頭に入っていなかった。何とかノートを取ろうとすると聞き取りができない。聞き取ろうとするとノートがとれない。周りの子にノートを見せてもらうのはもはや日常だった。

高校生になってバイトを始めてから大きな壁に突き当たる。「電話で注文を聞く」、APDにとってはそもそも電話がシンドイ。聞いても忘れるのでメモをとらなきゃだけどメモがとれないというジレンマ。↑に書いたように「あいうえお」と聞いたり言ったりしながら同時に「あいうえお」と書くことはできるし、お寿司屋さんでメニュー名は短く単純だったから(上とか特上とか)何とかやれてたんだと思う。

社会人になってからは本当に辛かった。電話が常に鳴ってる&かけることも多い仕事で、新人は電話取りを積極的にやれと言われて。まず名前が聞き取れないし(法人も相手にする仕事なので複雑な名前も多かった)、聞き取った名前をメモできないし、用件もどこに繋ぐかも分からなくてウワアアアア…とにかく色んな工夫と鍛錬を積んで何とか対応していて(こういうのはそのうちまとめたいと思う)、普通に会社では電話対応が上手い人だと認識されていた。

たまに電話しながら手元で他の仕事してる人とかいるけど、そんなの私からすると超人の所業で、電話をしてるときは電話に全集中しないとできないから(全集中、電話の呼吸📞)、電話の時間が完全にロスタイムになってしまって仕事の全体量が増えてしまっていたんだなということも今となっては分かる。

お客様との対面の面談も多い仕事だったけれど、ここでとにかく上司から指摘されたのは面談時間が長いこと。聞きながら考える、聞きながら書くができない故、聞く→考える、書く(その間は脊髄で適当に話したり何とか間を繋ぐ)ってしてたから時間がかかっていたのかなぁと。

そして多数の会議やミーティング。みんな話すのが早いからメモが取れなくて議事録が作れなくてとにかく困った。聞けたワードから内容を推測したりとかしてやり過ごしていた。やり過ごせていないので上司からの修正が凄かった。

でもこの頃の私はこれが異常なことだとは知らないため、みんなそうなんだ、それでもみんなやってるんだすごいなぁ…と思っていたし、漠然と電話や会話、議事録作成に恐怖感を感じていたけどただ単に自分が面倒くさいことから逃げようとしてるだけだと思って、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…!(シンジくん)と自分を奮い立たせて仕事をしていて、それがかなりのストレスになっていたんだろうなぁと思う。


・邦画が見れない

APDはプライベートにも影響する。
自分がAPDなんじゃないかと気付いて一番腑に落ちたことはこの邦画が見れない問題だった。

昔からなぜか邦画が苦手で、まず登場人物が何を言ってるのかほとんど聞き取れない。音量が小さいのかなと思って音量を上げてみてもうるさいだけで聞き取れないのは変わらず。そして見終わった後にどんな話だったかとかそういうのがほとんど記憶に残っていない。え?私今何を見てましたっけ?みたいな。言語化するとめっちゃ怖いな。洋画も吹き替え版は苦手で字幕版が好きだった。

映画は情景描写で登場人物の声以外の環境音やバックミュージックも結構大きい音で入るから台詞の聞き取りがかなり難しいんだと思う。なんとか聞けても聞くことに集中しすぎ&聴覚情報の記憶力が悪いため聞いた内容は忘れてしまう。でも字幕版なら台詞は字で追えるから理解も記憶もできる。ウワースッキリ。

昔から邦画が嫌い、ボソボソしてて聞き取りづらくない?というのは声を大にして言っていたんだけどあんまり理解してもらえなくて、これまたみんなすごいなぁってなってた。邦画独特の雰囲気もあるからそれが自分に合わないのかなって思ったりもしてた。違うわ、聴こえてねんだわ。
そもそも映画自体そこまで好きではなくて、本派だったのもそういう理由からなのかもしれない。


・うるさいところが苦手、うるさい中で会話ができない

クラスのガヤガヤ、賑わっている飲食店、大人数の飲み会、混雑しているテーマパーク、全部嫌いです。酷いと具合が悪くなって最悪吐いたりする。
かと言って全部避けられる訳もなく、そういうとこでの会話は諦めて聞くことを放棄していました(潔すぎる)。うるさいところに行くと何言ってもニコッと微笑むだけの女になります。

・聞き返し&聞き間違いの多さ

静かなところで2人きりの会話は問題ないけど、それ以外のシーンでは大抵めっちゃ聞き返すし聞き間違える。急に話しかけられるのも苦手。遠いところから話しかけられるのも苦手(会社でよくやられるけど絶対気付かなくて隣の人がトントンってやってくれて気付くとかザラだった)。もうね、私と話すのは諦めてください(根暗すぎて草)。

そんなこんなで友達とちょっと出かけるとかお茶するのも私にとっては負担で、だからあんまりそういうのに行きたがらなかったのかなって今となっては思う。

・外で気付くべき音に気付かない&聞こえない

後ろから近付く自転車の音とか、電車内で流れる次の到着駅のアナウンスとかが聞きとれないので、歩き方が危なかしいと言われるし、いつも電車の窓から到着駅の名前を必死に覗き込んでいます。不便だし危ないですね。実際何度か自転車に轢かれてます。

・とにかく静かなのが好き

無音が好き(換気扇とかエアコンもしんどい)、上下左右の小さな生活音も気になる、周りの環境音がうるさいところも苦手(車、学校、子供の泣き声)。一人でいるときは静寂の中、iPhoneをタップする音だけが響くような感じで生きてます。音楽かけたりとかもしないです。付き合っている彼が見ていなくてもとりあえず常にテレビをつけておきたい派なんだけどそれがしんどくてしんどくてしょうがなかったのはAPDの聴覚過敏の仕業だったのかもしれない。声が大きい人も苦手。

・英語のリスニング

これ。ほんとこれ。特に大学受験
もともとリスニングはすごく苦手だったんですよ。みんなの紙をペラペラめくる音とか、鼻啜る音とか、カリカリ書く音がめっちゃ気になっちゃってリスニングで聞こえてくる英語が上滑りして頭に入ってこなくなってしまう感覚というか。で、大学受験の会場って広いことが多い。その雑音が何倍もするんですよね。死ぬ。
たまにある背景の雑音も入ってるタイプ(カフェテリアとか)のリスニングとか死ねって思ってた
私はリスニングが苦手だからと必死にリスニングの勉強をしてたあの頃の自分の背中をトントンしてあげたい。トントントントントントン!!!!!!!


長年気づかなかった理由

・家族もそうだったから

今↑に挙げた困り事、全部家族もそうだったんですよ。母は全く一緒の症状、祖父母は二人とも耳が遠くて。だからたまに悩んでも、みんなそうよって言われちゃうからそっかぁ…ってなってた。

・病院も知らない障害だったから

実は1度か2度、自分の耳はやっぱりおかしいんじゃないかって病院に行ったことはあったんです。でもそこでは通常の聴力検査をして問題ないです、で終了。自分でも耳自体は聞こえている感覚があるのでやっぱりそうかぁ…ってなって終了。

・他の人の聞こえ方なんか知らんから

本当これに尽きる。病気とか怪我と違って生まれたときからそうだし他の人がどう聞こえてるか知らないから自分の聞こえ方がおかしいだなんて思ってなかった。実際音自体は聞こえているし。
ずっと周りの人はすごいなぁ、自分はなんで…っていう自己肯定感を下げる原因になっていたこともたくさんあってこれに関しては本当辛かったねと自分を労ってあげたい。

終わりに


APDは今のところ治療法は特になくて、そもそも障害としての認知度もめちゃくちゃ低い障害らしいから、一つ一つの問題に対処していくしかない。

でもとりあえず今までの「何故か自分だけできない、おかしい」に理由がついたことで、過去の自分が救われたりこれからのことを前向きに考えられるきっかけになると思うので、これから理解を深めて対処法を考えていきたいなと思っています。

近いうちにちゃんと診断してくれる病院にも行きたいなと思っています!


ぺたり





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