(連載31)家に持って帰れない服を作ってみた:ロザンゼルス在住アーティストの回顧録:1995年:
前回は、自分の作ったウェアラブル・アート(装着可能な作品)を、ファッション感覚で、しかし、ブティックではなく、ファインアートのギャラリーで、売ってもらおうというマネタイズ計画のお話。
それは見事に失敗しましたぁ〜!
一点も売れませんでした〜〜!!
あのね、、、、。
これって、そんな張り切っていう事かい?
ま。
思い通りにはならなかったけど、もともと、マネタイズが目的で、作品を作っているわけでは、なかったし。
自分のはファイン・アートだし。苦笑
そう思えば、そんなに凹まずにすんだ。
何事も深く考えようとせず、自分に都合のいいような落としどころを、見つける。 こういう才能は、自分でもほんと、感心しますわ。苦笑
アーティストってこういう才能も含まれてるのかな?って。ぶふ。
つまり、何事も
ま、人生、そんなもんやろー。で終わせる。
そして、これの実践のコツは、失敗の直後、時間をおかずに、次をすぐ行動する事、です。なんでもいいからーっ。苦笑
そして、ここで、またしても、あのスー・スペイド女史、登場!
彼女は成功とか失敗とか、マネタイズとかの外側にいる人物なので、
突然、出現する!笑
ハ〜イ! アゲイン!!
この時、彼女が私にもってきてくれたお話は、サンタモニカの美術館のグループ展。
このグループ展のテーマは「インターアクティブ」つまり、見る人が参加するいう体験型の展覧会。正式なタイトルは。
Action Station: Exploring Open Systems (1995)
ちなみに、確かこれは、オノ・ヨーコさんも参加したと思います。(うる覚え。)
美術館なので、もともとマネタイズなど関係ないから、私は「自分が本当に作りたいものは何か?」に集中しようと、即、方向転換。
つまり気分的には、前回の反省じゃなくて、
だって、
反省なんかよりリベンジ方が、エネルギーが何倍も湧く!!
なもんで、
今回は絶対に売れない作品!にしてやるぜ。
いぇい〜!
というと?
私の頭の中で考えた事。
着れるけど、、、(私の場合、これだけは外せません!)でも、家に持って帰れないもの、家に飾れないもの。
で、
まず、これ。
壁に袖が!?
持って帰れるもんなら、持って帰ってみろってんだぁ〜っ!(江戸弁)
片方に袖がついてて、裏をまわって見ると、反対側はただの穴。
タイトルは「着れる壁」!
つまり腕を壁に通してもらって、「壁を着てみませんか?」うという参加型の。。。。
着てみたとこ、こんなです。(ドヤ顏で!!)笑
これは、こういうの、あったら面白いだろうなー。という直感で、作ってみたんです。自分ではこんな家の壁に穴なんて開けれないし、(当時は借家)美術館だったら、なんだって、やってくれるだろうと。笑
やってみて、わかったのは、この場合の腕を通す行為は、壁の向こうにある袖がどんなものか見る事ができなので、「参加してる意思はあるが、同時にコントロール不可能」だと気づく。
そして、また袖が付いている側は、腕しか見えず、壁の向こうにいるのは、男?女?老人?若い人?どんな人? と、つい、先入観で、想像してしまいます。
そんな小さなの布きれで、人々のアイデンティティを推し量っている。
ふむぅ〜??
また、実際に会場では、袖側にいる人は、いつ反対側で人が穴に手を通してるのか、見ることができないので、いきなり壁から手がでてきて、びっくり!!という、ボーナス効果も発生!
そして、もうひとつの作品。
これも直感的に実験的に作ってみた。(家の天井、低かったんでー)
天井からの服!
しかも、高さの調整は自由!(だから、ナニ?と思われると思いますが、身長によって、袖の高さが違うので。)
我々は服を着て自由に振舞っているようでも、実は服のてっぺんのあたりがどこかにくっついていて、拘束されているのではないか?
もしくは、無意識に服の表面に囲まれているのではないか?
そう考えてたら、こんなになりました。笑
この2作品は評判は、悪くなかったです。
ローカルのテレビ局もほんの少しだけ、話題にしてくれたんです。
そして、見た人々からは、またしても、グレイト!グレイト!!っていわれた。
私って、もー、どんだけ、グレイトなの???苦笑
でも、もうこの頃になると、アメリカ人はお世辞をいうのだと、だんだんわかってきた頃だったので、本気にはしませんでした。
その証拠に、この展覧会が終わって、
電話がなり続けるとか、そういうの、一切なし。
雑誌の取材もなければ、インタビューのリクエストの話もなければ、コラボをしようという人も現れなければ、次の個展はぜひ、うちでやらないか?というお誘いもなければ、お金はいくらでも払うから、ぜひこの作品を、ウチで再現してほしい!!という大金持ちも、、、誰もいなかった。。。
しーーーーん。
そしてまた、私は、いつもの生活に、もどってゆくのだった。
ま、そんなもんやろ。 です。
そして私のいつもの生活とは、、、この頃は、90年代前半からやりだした、撮影のお手伝いというのが、90年半ばになると、便利屋フリーター稼業のメインの仕事になってきてました。
というのも、友人の日本人女性が、ロサンゼルスで本格的にワードローブのスタイリストを始めたからなのです。よって私もそのアシスタントとして、以前よりも、お声がかかるようになったんです。
前にも書いたのですが(連載1)、私は1980年代に東京で、この職種の仕事で、燃え尽きて粉々になった苦い経験があったので、もうこれでキャリアを積もうとなどとは、決して思いませんで。。。。
なので、そう思うと、不思議に楽しく仕事ができました。
撮影のプロダクションは、主に日本のコマーシャル撮影でしたが、なんといっても、
ロサンゼルスは、撮影現場の最高峰であります!!
参加して初めてわかりましたが、ハリウッドのセレブ周りだけでなく、撮影のスタッフ、セットなども、東京の頃とは規模が違いました。この時期はもうネタ満載!ブラピの事は(連載18)に書きましたよ〜。苦笑
繰り返しになりますが、特に私が感動したのは、レンタル衣装屋であります。
体育館のようなところに、時代別、役柄別、スタイル別、色別、国別、階級別、サイズ別、、、など、も〜〜うありとあらゆる、服。。服。。服。。。なので、ここでレンタルする時は、ある程度、こちらの情報をそこの方に渡して、それに合うものをピックしてもらって、その中から我々がまた、選ぶというプロセスです。
たとえば、1950年代のパパラッチのカメラマンのコートとか
メキシコ国境あたりカウボーイのケープ、とか。。
普通、わかりませんよね? 笑 どんな衣装なのか?笑
そして、また、小道具、大道具やセットも、想像を超えたスケール感です。
ある時など、ロサンゼルスのとある駐車場に、日本の商店街が出現!
こんな感じです。(これは実際のじゃないですよ。あくまで参考写真です)
でも、まんま、こんなの。
つまり、薬局、お弁当屋さん、金物店、文房具屋さんなど。店だけじゃないんですよ。ひとつの通り、ワンブロックが全部が再現されてた。
商品も全部並べてあるんですよ。
アメリカ生活でお弁当なんて、ずっと食べてなかったから、
もう、おもわずお弁当屋さんに行って、シャケ弁買いたくなりました。
もちろんお店も看板も、商品も表面だけで、裏をみたら何もないんです。でも本当にそっくりなんです。
他には、ロサンゼルスのダウンタウンの1940年代の銀行ってのもありました。設定が銀行の地下のでっかい金庫室。壁は石の壁、そして、どうみても重厚な金庫の扉!!
触ってみて、はじめて、やっと、発泡スチロールだと、わかります。
その完成度の高さには驚きました!!さすが、ハリウッド!!
触るまでわからない!!!
結局、触らないんだったら、「物体の存在」って、表面だけ??
自分の周りにあるものもでさえ、視覚を満たしているだけのモノは、もう表面だけでいいんじゃないか?って思ってしまいます。
色と形だけで、イリュージョンが作れる。。。。
考えたら、洋服もセットみたいなもので、表面性だけで成り立っている。
ユニフォームがいい例だし、儀式の為の礼服、ウェディングドレスとか
違う現実に、即、移項できる道具、装置。。。で、あります。
わ〜ん。 表面性のなぞ!
答えは、未だにわかりませんけども、なにか、もやもや、ひっかかる。。。。そこに何かあるような気がする。。。。
とりあえず、メモっとけや!!
いつか、なんか、役に立つかもしれん。。。。
そして、また、次の作品にとりかかろう。。。。
しかし、なんだかんだで、こういう事をはじめてから、この時、すでに5年が過ぎようとしていました。
人から見たら、5年もやってて、作品を売ってくれるギャラリストもいない、著名なアートマガジンにも載ったこともない、ローカルの盛り上がっているアートシーンに参加してるわけでもない。アートで食べてるわけじゃない、、、ないないないづくしの
私は、いわゆる「食えないアーティスト」なのだった。
しかし。
ふと、見上げると、今日も、ロサンゼルスの空は真っ青であります。
そして、これが、夕方には、見事なオレンジと青のグラデイションに。
まさに、これ!ですよ。
もーー美しすぎる!!!
美しすぎて現実感がない!!
この空って、本物?
これ、映画のセットじゃない?
もしかして、後ろに回ったら、何もないのでは?
そして、私の現実も
この表面だけに支えられているのでは?
あ〜〜〜!ふっかぁ〜〜。。。
よーわからん。
とりあえず、メモっとけ!
人生、 そんなもん よ。
次回に続く。
L*