(連載44)作詞作曲、ギター、振り付け、ボーカル、低いレベルでも全部自分でこなす:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2006年-2007年
前回は楽器ができなくて、バンドを始めたという話でした。
軽くちょっとなぞりますと。。。。
セックス・ロバというバンドで、100回以上ライブをやったのに、
担当はビジュアルと踊りその他(ヌンチャクとか)苦笑
音楽もできないのに、バンドにやってる自分がなんか情けなくなってきて、
ミュージシャン、特にギターが弾きたい!と思うようになった。
そして、相棒のケビンにセックス・ロバでギター弾きたいんだけど!
と直訴したら、
当たり前ですが、即却下!!!
(だって、ギター弾けないから。爆笑)
しかし、
ここで、まさかの奨学金が舞い込んできて、
いきなり、ジミヘンと同じギターを買って、
これですよ。
3コードのジミヘンを目指す。
そして、あの殿下と同じような衣装を作って
つまりトレンチコートの肩にスタッズがついたやつ。
ジャンポール・ヤマモトというバンドをはじめましたー。
音楽ソフトの 超ド初級、入門編で、よくわからないまま、誰でもできるようなバックトラックを打ち込みで作った。
たとえば、「初級:まずリズムをいれてみましょう。」っていうのがあったら、そのままのリズムを頂いて、それにボーカルをつけて、即、歌にした。
コンピュータで音楽を作ると言うのは、意外にあっという間にできるもんで〜。笑
質を問わなければ、練習なんて必要ないので、自分に向いてる気がした。笑
つまり、知ってるか、知ってないかの知識だけでできるので、
ソフトを教えてくれる先生にそのやり方を尋ねるだけで、できちゃうのが、すごいと思った。
音楽家になるための練習、長い長いまがりくねった道など、忍耐力のない私は絶対にできないけど、
スイッチだったら、即、押せるし!!
ボーカルは、当然カラオケの延長だが、ヘビメタの濁声の出し方のDVDも買ってみた。笑
ギターも先生について習ったが、そんなにすぐ上達するはずもなく、当然、指が届く範囲のコード3つが4つを、ただ、かき鳴らすだけ。
しかし、そういうスタイルだと居直ってしまえば、なんら、恥ずかしい事もなかったのだ。
めちゃくちゃ、下手くそでも、だから何?
下手はヘタなりに、味があるもんさ。
この広い世の中には、そういうのがヘタくそが好きな人もいるでしょう〜。
そして音を作るだけでなく、歌詞も書いた。
もともと、英語は苦手だったけど、英語が母国語ではないというのが、かえって、歌詞の意味よりも音で言葉が捉えられるんじゃないか?と思った。
どこまでも、
自分にめっちゃ、やさしい自分のであったのです。笑
ま、英語での作詞は、深い意味を考えると、大変だったけど、夫のトッシュに助けてもらったり、、、また英語の歌詞は韻を踏むのがあたりまえ。というのにも、やっと気づいた、(遅!)が。。。
何が正しくて、何が正しくないか?というルールなんてない!!と
ただ、それを強く信じている自分。
それ以外は何もなかった。
で、とりあえず、ゆるーいバックトラックを作って、興味のある人に聞いてもらって、誰かいたら、この指止まれ!状態で、集まってもらって、それをベースに、ライブでいろいろと音をかぶせてもらう、半分セッションみたいな、これまたゆるーいやり方。で、はじめた。
毎回メンバーが違ったが、幸運にも、少しずつ、いろいろな場所でライブをやる機会にも恵まれだした。ワタシのズラや厚化粧、どうしようもない衣装が、ゲテモノ好きな人たちにもウケたようだった。
これは2006年ごろのメンバー。アイバーというハリウッドのクラブで、友人の大久保鉄三君がALMというリメイクのブランドをやっていて、(彼はカラオケ馬鹿騒ぎの頃からの友人)彼の企画したファッションショーに、バンドとして出させてもらった。
このやり方だと毎回違うメンバーなので、楽しいっちゃー楽しいのですが、メンバーが増えると、みんなのスケジュールを調整するのが大変になってきて、同時にバンドの運営というのも学ばなくてはならなかったのでした。
時間を守らない人がいたり、人が増えれば増えるほど、日程の調整をするのがむずかしく、ライブがあるとそのスケジュール調整に追われるようになっていった。
またライブをするのも、ほとんどがコネなので、会場のブッキングも人脈もないとダメで、そのためにわざわざ人のバンドを見に行ったり、まるでマネージャーがやるようなことまでやらなくてはならなくなり、自分のバンドをやるというのは、煩わしいこともあるのがわかってきた頃、、、、、
あ、そうか!!。。。と。
人のバンドでやるんだったら、バンドのやりくりとか人の調整など自分がやらなくていいので、グッドアイデアかも。と、そういう話にものった。
誘ってくれたローカルのバンドに自分のギター持参で、セッションに出掛けていきましたが、、、、やはり、当然、ギターをかき鳴らすだけの私の薄っぺら感がバレて、1日でクビ。。。。。とほほ。
その後また、違う女性ロックバンドからも誘われて、この時は事前に音源を送ってもらって、ギターの先生にフレーズまで、考えてもらって。(笑
かなり練習してから(自分なにり)行ってみましたが、こちらも、後日、きっぱりとダメ出しされた。。。
。。。。さすがの私も二回つづけて断られて、凹んだ。
しかし、もうこうなったら
どこまでも、自分ひとりでやる以外に選択はなくなった。
しょぼり〜ん。
(これ、ファンの人が撮ってくれたんですよ。素敵でしょ。笑)
それまでの、セッションバンドのような、その時に時間のあいてるミュージシャンの人と、テキトーにやるのではなく、少ない決まったメンバーと、もっとタイトなプロジェクトにしよう。。。と決心した。
音楽は私一人で作るんで、あと二人はバックコーラスとダンサーがいれば十分。ダンサーといっても、ハイテクニックなダンサーじゃなくていいんですよ。人間マネキンみたいな。笑
手足をロボットのように動かすだけで。、、、、なので、最低のレベルでいいんです。素人でいいんです。
そして、またフロント3人は日本人女性にしようとも思った。言葉も日本語でコミュニケーションも簡単だし、私がやりたい世界をきっちり伝えられる。
そう思ったら、エネルギーがメキメキ湧いてきました。
思いついたらすぐ行動するのが、ワタクシの得意わざでありますので、その頃、バイトしてたお店に電話して、その日働いていたあやこちゃんという女性に、
「ねえ? バンド、やらない?」といきなり、きいてみたら、
「いいですよ。」と、即、軽ーい返事。
で、その場で、彼女と仲良しのモエちゃんが、電話口の向こうにいたので、
で、「モエちゃんもやらないかな〜?」と、あやこちゃんに言ったら、
「あ、ちょっと待ってください。」って言って。
「ねえ、モエちゃん、ルンナさんがバンドやらない?っていってるけど〜? どう〜? あ、やる?
「モエちゃんも、やるそうです!」とたったの5秒で決まった。
これで、新しいジャンポール・ヤマモトの再出発となったのである。
日本人で、女3人姉妹のようなイメージ。
もちろん踊りの振り付けも素人の私が、全部決めました。
以前、ならっていたタップダンスや、(連載42に詳しく)途中で挫折したヒップホップのダンスなどを思い出しながら、、、、、
また、歴史的な大御所、たとえば、マース・カニングハム のような
もちろん、こんなんできませんよ、あくまでイメージですが。
そして、また舞踏 のような
ラジオ体操のような
ロイ・フラー のような
ヴォーギング のような
阿波踊りのようなぁ〜〜。。。
なんでも参考にできるものは、なんでもかんでも取り入れた。
そして
ワタシの厚化粧とズラはそのまま引き継いで、バンドの衣装はいつも白に決めた。
これは経験からライブの会場バックが黒が多いので、白の方が目立つから。
楽曲も女テーマの歌が、いろいろ。
ラジオ体操の替え歌で、シュガーダディの歌。(シュガーダディとは、いろんな物を買ってくれるパパの事)
谷崎潤一郎的なロリコンを歌った、文学ラップ「ロリータ」
スタバのコーヒーでハイになった女性ドライバーが、全部をなぎ倒して運転してゆく歌「スターバックス・ハイパー・ビッチ」!!
ともかく、すべて
((((( やりたい放題、し放題! )))))))
日本語と英語をまぜて、皮肉な歌詞で、ラップのようなセリフのような、掛け声のようなボーカル。
ジャンルなんか関係なく、直感で、好きなものは全部、試した。
作詞作曲、ギターに踊りにボーカル。どれをとっても、かなりな低レベルであったに違いないです。しかし、自分ひとりで誰の目も気にせず、やりたい世界を完結できる充実感は、もう半端ないものがありました。
もちろんお金には、まったくならないです。
でも、逆に、ならない、ってわかってたんで、怖いものなし!!
とんでもない事をどんどん思いつくようになりました。
街中の小さいバーやライブ会場だけではなく、夜中のダウンタウンのゲイのダンス・クラブでやったり、また、ハリウッドのお店のショーウィンドウの中でラジオ体操して、シュガーダディを歌ったり。
自分らのバンドの前座は自分でやったり。
前座として、ひとりで出てって、頭にカーラーを巻いたまま
昭和の演歌を歌ってるとこ。
そして、私とモエちゃんとあやこちゃん、3人の相性もぴったしで!
毎回毎回新しい衣装やヘッドドレスも3人で作った。
あやこちゃんは縫い物もでき、もえちゃんは、ノリ付けや色を塗ったりなどが得意。ライブ前は夜中までかかる事もありました。
で、こんな新体制のジャンポール・ヤマモト。
当然、曲は、前とそんなに変わらず。笑
今まで手伝ってくれてたゆるーいメンバーとはいきなり終わり!というわけでもなく、でも、メインは 女3人フロントでの新しい編成に少しづつ移行したというかんじでした。
で、自分的には、できるだけ、小さくまとめてようと思ってた矢先、
不思議なもので、今度はこのバンドを手伝ってもいいよ!という人が現れたのです。今までのようなユルーいセッションじゃなく、本気なお誘い!
一人はシンさんというギターがものすごいうまい日本人の男性。プロのギタリストで、いろんなところでいろんなバンドをやっている、まさになんでも弾ける!セックスロバの頃から、私を知ってたらしく、たまたまこの我々を見て、声をかけてくれた。。。。。
この人が参加したら、おそらく音楽的なレベルが上がるだろう!!と私は確信しました。
そして、もう一人、物凄い人物が!!
は。。。。
次回に続く。。。。
L*
PS 長々読んでくださって、有難うごさいます!
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