僕への最大の褒め言葉は「社会不適合者」 Part①
こんにちは。
このNoteを読んでくれている妹に「ジャン兄ちゃんは”社会不適合者”だね(^^)」って笑いながら言われたジャンです。
社会不適合者って・・・自覚はしていたが、まさかNoteからもそれが伝わっていたなんて(笑)
ただ、、、嫌な気持ちは微塵もなく、第三者にも「社会不適合者」ってことが伝わっていて、逆に嬉しくなりました(笑)
「世間では当たり前」とされている中で生きるのが、どうしても出来ないと気付き、自分らしい生き方を始めた僕からしたら「社会不適合者」という言葉は褒め言葉なんです。
妹よ、、、ありがとう(笑)
せっかく、妹から「社会不適合者」のお墨付を頂いたので、今日は「社会に適応しない生き方」について、過去を振り返りながら話してみたいと思います。
ちなみに、「社会に適応しない生き方」については、僕自身も現在進行系で実現中ですので、すべてはお話できませんが、僕が伝えられることは惜しみなく話したいと思います。
そして、その生き方を実現した際には、実現するための考え方や理論などを、興味を持ってくれた人にだけこっそり教えようと思ってます!
ちなみに、これからの僕は必ず目が離せなくなる存在になると思うので、よく見ててくださいね(笑)
それでは始めますので、ぜひ最後までお付き合いください!
まず、簡単な自己紹介なんですが、僕は沖縄で『独学プロコーチ』として活動しながら、TwitterやInstagram、Youtube、そしてこのNoteを通して、「自分が経験して得た気付きや学び」「自分だけの生き方」について発信し、共感し連絡くれた方に対して、全力でサポートさせてもらってます!!
今日は、そんな変わった生き方をしている僕のお話です。
僕は、去年の3月に道を歩いている際に車に轢かれ、意識不明の状態で病院へ緊急搬送されました。自分で呼吸することもできず人工呼吸器をつけられ、顔面複雑骨折、くも膜下出血、気胸、膝や鎖骨の骨挫傷など全21診断がつき、ICUで徹底管理されていました。
入院中に手術を2回行い、徐々に回復しなんとか1ヶ月後には退院することができました。
ただ、両アゴ関節の骨折と歯の欠損により、固形物が食べられなかったため、退院後も流動食生活がしばらく続きました。
日に日に体力は落ちていくし、歯や喉にも痛みがあり日常生活もままならない状態でした。(喉の痛みについては、声を出す声帯周囲の骨折が後々見つかり、さらに手術が1回増えました。)
本当であれば、交通事故にあった翌月の4月からは、理学療法士として急性期病院で勤務する予定となったいました。
しかし、事故のせいで実際に働くことができたのは7月からでした。
知らない方もいると思うので、ここで「理学療法士」という職業について簡単に説明させてください。
理学療法士とは、病気や怪我によって何かしらの障害をおった方々を、元の生活への復帰を支援する職種で、脳梗塞による手足のマヒや、肺炎後の体力維持(廃用予防)など様々な病気とも向き合う職業です。
一般的に「リハビリをする人」が浸透しているかもしれませんね。
ただ、仕事的には楽ではありません。
脳梗塞後の患者様であれば、「身体が自由に動かない」など、抱える問題や悩みも深く、リハビリを提供する側の体力・精神面どちらも日々消耗してしまうため、クタクタになることも少なくありません。
ちなみに、気付いた方もいるかもしれませんが、、、
そう、、、
交通事故後の僕自身が、まさに「病気や怪我で障害をおった人」そのものだったんです。
リハビリを提供する側の人間が、まさかのリハビリを提供される側になるなんて思いもしなかったんですけど、実際にリハビリを受ける機会なんてなかなか無いので、とてもいい経験になりました(笑)
話を戻しますが、そんな、体力的にも精神的にもハードな、僕の理学療法士としての仕事が始まったのは、事故から4ヶ月後の7月からでした。
事故の後遺症や治療途中とあって、万全じゃない状態で始まった仕事は、想像以上にキツく、とても人様のリハビリをしている場合ではありませんでした。
また、身体的キツさよりも僕を常に苦しめていたことがもう一つありました。
それは、ある”違和感”でした。
この違和感は何だろうと思い、退職後はこのことをずっと考えていました。そして気付いたんです。
それは、「会社に属して集団社会の中で働く」
ということへの違和感でした。
「何が?」「どのあたりが?」「具体的には?」
などと聞かれても、はっきりと答えられないぐらい自分でも曖昧なんですが、直感的に「なにか違う」と思ってたんです。
ただ、その時の僕の中での常識では「会社に属して集団社会の中で働く」というのが当たり前だったので、その違和感を無視し続けていたんだと思います。
僕以外にも、この違和感を持っている人はいると思いますが、世間一般の常識がその違和感を認めることを許してくれないんですよね。
だから僕も、そんな違和感や直感をすべて押し殺してひたすらに働いていました。
そんな状態が長く続くことはなく、「身体の状態」と「違和感」の両方の理由から仕事を続けるのは難しいと判断し、家族とも話し合った結果、退職することにしました。
正直なところ、理学療法士という仕事は、国家資格を持ち社会的地位もあるいわゆる「安定した職業」だったので、退職にはかなり悩みました。
ただ、僕の中でこの「違和感」を持ち続けて仕事するのは、自分にとっても良くないし、何より患者様に失礼だと感じ、辞める決断をしました。
そして、「安定した仕事を辞める決断」と同時に「自分の道を自分で切り開く」という決断もしました。
みんなが当たり前とする社会で生きられないのであれば、自分が生きられる場所を自分で作るしかないと思ったんです。
そのためには、それなりの覚悟と決断が必要だったんです。
・安定した仕事を辞める決断
・自分の道を自分で切り開く決断
どっちの決断もいわゆる「一般的」ではない答えだったんですが、自分自身がしっかり理解できて選択しているならそれで良いと思ったんです。何が正解なんて誰も分からないので。
ここまで一気に話してきましたが、文章自体が結構長くなってしまいましたね。
今回の話は、自分にとって思い入れの強い内容ですので、無理に短く書こうとせず、書きたいだけ書こうと思ってます。
ということで、今日はここまでにして、続きは明日思う存分書こうと思います!
ぜひ、また遊びに来てくださいね! 【サンカイル】のジャンでした。